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ボートが私にくれたかけがえのないもの
- 2014/11/28
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県立岬高校3年 森山心さん
ボート部に所属する森山心さん(18)は、今夏第12回全日本ジュニアボート選手権大会に同校から初出場するという快挙を成し遂げた。同大会は、全国からトップ選手だけを集めて19歳以下の日本代表を決める大会で、「3年間で一番いいレースができた」と森山さんは笑顔で話す。ボート部のある高校は県内でも4校のみ。高校生のボート競技は1人で漕ぐシングルスカルと2人で漕ぐダブルスカル、4人で漕ぎ、1人が舵を取る舵手付きクォドルブルの3種類で、森山さんが出場したのはシングルスカル。
県総体優勝や関東大会3位入賞、インターハイ2年連続出場という経験をもつ彼女がボートを始めたのは高校に入ってから。「きっかけは2つ。入学してすぐボート部顧問の大橋綾也先生に勧誘されて、家に帰って両親に話すと大賛成だったこと。あとは、同じ中学の友達が先にボート部に2人入っていたこと」というが、森山さんは水泳が苦手だったので落ちた時が心配、と少しだけ入部は迷ったとか。加えて、当時ボート部には2・3年生が在籍していなかった。基礎練習をやるにも未経験の1年生だけで取り組むしかない。ボートのオールを握りすぎて、手のひらは豆だらけに。練習は半日で20㎞以上漕ぎ、全身運動なので体力的にかなりきついものだった。
だが、そんな苦しい練習を乗り越えられた理由を、森山さんは「先生が興味を持つように指導してくれたのが大きい。問題をクリアしていくと、次に新たな目標を設定してくれる。卒業したボート部の先輩も来て、練習に付き合ってくれることもあったので、常に周りにサポートしてもらっていたのだと思う」と分析する。158センチという身長もボート競技の選手の中では決して大きい方ではない。筋肉トレーニングであるスクワットジャンプやエルゴメーターという実際の運動と同じ動きで体力トレーニングできる器具を使用しての練習を積み重ねて、身体作りにも懸命に励んだ。出来なかったことが、出来るようになる。森山さんをボートへ引きこんだ魅力は、努力した成果を実感できるという爽快感だったのかもしれない。
「こんなに何かをやることが楽しいと思ったのは高校に入ってから」と断言する森山さんは、いつの間にか転覆することに対する恐怖心もなくなっていた。初めは慎重なので転ばないが、慣れ始める時期は思い切って動こうとチャレンジするので転覆する。それでも、「いざ転んでみたら意外と冷静だった。漕ぐときは両足を結わいているけれど、それをすっと離した。大事なのはボートから決して離れないことだと初めから先生に教わっている」という。ボートは沈まないように設計されており、離れなければ安全だ。さらに慣れていけば、たとえ動きが大きくなっても転覆はしなくなり、楽しさが増す。身体に染みついたボートへの動きが彼女の心をさらなる高みへと誘う。
ハキハキと言葉を発する森山さん。「私は一日に会った出来事を、母親にすべて報告する。心配することもあったと思うけれど、辞めろと言われたことはない。むしろ、ボート部に入ってすごく楽しそう、全力でやってと応援してくれた」と話す。そして、「岬高校を卒業してもボートを漕ぎたい。次は青年の種目で国体に出場することが目標」と続け、明るく笑った。岬高校は近隣の学校と統合するので大原高校ボート部となるが、「母校のボート部がこれからも明るく楽しみながら強くなっていってほしい。私はそのサポートをしていきたい」と願い、教師になってボートを指導していく夢も抱き始めている。強い選手を育てるためには、体力だけをつければいいというわけではない。自身の経験を元に、精神面や栄養面についての知識をつけるために今後の進路も選択した。
森山さんにとって『ボート』とは何か。練習は大変だったけれど、楽しく続けられた。県外の仲間も増え、宿舎の人が応援してくれるなど遠征先の人たちとも交流ができた。ボートをやっていなかったら知らない世界だった。「熱中して楽しめるスポーツであり、多くの経験をくれた私の財産!」と強く答える彼女に、秋が深まる今、大きなエールを送りたい。
問合せ 岬高校
TEL 0470・87・2411