再生
- 2013/6/7
- 市原版
再生
文と絵 山口高弘
いいですか、おもむろに先生が切り出しました。「あなたがたの体は何十兆もの細胞でできています。その細胞一つひとつは、日々、生まれ、死に、増えては減って、あなたがたの体を維持しているのです」。落書きを書く手を僕は止めました。英語の授業でした。「ですから」「あなたがたは毎日、生まれ変わっているのです。生まれ変わろう、と悩まなくとも。何億もの細胞が放っておいても再生して、あなたがた自身でいる事を維持し、次のあなたがた自身が体じゅうで生まれているのです」
大学の小さな教室が、一つの巨大な耳となりました。「授業を続けます」
僕がノートに書き止める間もなく再び先生は英語のテキストを読み上げ始め、外の小鳥のさえずりと、ページをめくる音が教室に戻りました。
煌々と明かりのついた夜の本屋の棚の前で、疲れた顔で自己啓発本を手に取った刹那、僕はそのシーンを思い出しました。『生まれ変わろう』、本の帯と表紙で、ネクタイ姿の成功者が主張している。ちがう。俺はもう、この瞬間だって、自分らしく再生してるんだ。本を戻し、じっと手を見ました。
外に出ると遠くの田から蛙の合唱がこだましていて、おだやかな雨が降っていました。季節は移ろい命は循環して、ほんの紙っぺら一枚ぶんほど、自分は年を重ねたのです。
そんなある日、弟に赤ちゃんが生まれました。細胞たちの『人生』の始まりです。生まれたての命は、外の世界を確かめながら、穏やかな顔で家族たちを見つめ返しました。この先長い人生で、どんな自分らしさを得ていくのだろう。『井の中の蛙』にはすまい、広い世界を見るんだぞ。親でもないのに、親心は大きくなるばかりです。
ごめん遅くなった。赤ん坊を見ていて待ち合わせに遅刻すると、仲間が笑いました。お前らしいな。行くぞほら。