奥州出羽三山参りの復活
- 2013/8/2
- 市原版

奥州出羽三山参りの復活
地域に根付いた伝統を守るために
今年、市原市磯ヶ谷では23年ぶりに奥州出羽三山参りが復活した。奥州出羽三山とは山形県中央にそびえる『月山・羽黒山・湯殿山』の総称のこと。三山参りとは山伏集団の修験道を背景とする三山主導の『詣り型』信仰を特徴としている。市原市は三山からは遠く離れているが、数百年も昔から伝統として出羽三山との関わりが根付いている。「特に家業を継ぐ長男は、一生に一度は奥州参りというのがしきたりだった。200年前は1カ月かけて、親の世代では1週間。だんだん3泊4日となり今年は1泊2日。日にちが少ないのでほとんど観光バスで回る形だけれど、23年ぶりに参れるのは嬉しいこと」と話すのは、磯ヶ谷地区をまとめている尾高章宣さん(75)。
行程のスケジュールが過密になっている分、出立の朝も早い。早朝4時に磯ヶ谷神社に集合し、道中の無事を願う儀式を執り行う。家族に見送られて出発し6時間以上、現地に到着する。夜は代々宿泊する宿坊で一夜を過ごす。柴崎勝美さん(65)は、「宿坊では御神酒をあげ、夜は宴会で天狗の面を使って酒を飲み交わす。翌朝は3時に出発、羽黒山、月山、湯殿山を回る。神社に着いたところで三山神社拝詞全という仏教でいう経をテープで流しみんなで聴く。白装束の背側に御朱印を押して貰い、やっと行人になれる」と語る。
御朱印とは、それぞれの神社仏閣が所管する印のことで、それを見ればどの社を回ったかが一目瞭然。今年、三山参りに参加する人数は17名で、そのうち初めてである新行は11名。柴崎さんは、「私が子どもの頃から、向こうの神主さんとの関わりの深さがあった。毎年札が送られてきて、2年に一度市原に来てくれる。今まで何度か三山参り決行の話もあったが人が集まらなかった。また次の参りまで同じ年月がかかるかもしれないけれど、伝統がつながったことにほっとする気持ち」と続ける。
そして尾高さんも、「私達が若い頃は、三山参りをするのに理由はなかった。昔からの伝統だから、親が勧めるから、近所の仲間も行くから。だが、時代は変わって外へ出ていく若者が増えた。働く形態も農家からサラリーマンへと変化した。そして、どうして三山参りに行かないといけないかを気にする。世の中が裕福になったのが問題なのか、同じ釜の飯を食うことが大事という考えは薄れてきている。だが、伝統は絶やしてはいけないのだ」と語る。
行人となった人々は地元で講となって組織をつくり、冠婚葬祭でも強い絆で結ばれる。強く根付いた地域の人間関係には、現代の生活事情からも意見は様々あることだろう。だが、代々受け継がれてきたように、きっとこれからも奥州出羽三山参りは守られていくに違いない。(松丸)
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