黒砂地蔵尊由来
- 2014/4/11
- 市原版
遠山あき
去る三月十五日、牛久小学校でボランティア祭りがあり、心暖まる催しで賑わった。たまたま私がそこで話をすることを依頼され、場所が学校だったことで、私は生涯忘れ難い記憶の千葉市黒砂分教場の近くにあったお地蔵様の話をしたいと思った。まだ若かった私はよく子どもたちと学校のすぐ下の海岸へ遊びにいった。遠浅の海は干潮になるとどこまでも砂浜になる。遊び飽きて上がると海を眺める高台にあった可愛いお地蔵様に、野の花を捧げてお参りした。あどけないお顔のお地蔵様は七体並んでいた。
それから二十数年経って、それが海難に逢った子どもらの供養地蔵だったのを知った。早速訪ねた黒砂の海は埋め立てられ、お地蔵様は何処にもなかった。途方にくれた私は市役所に聞いてみた。すると市営桜木霊園へ移転したのではないかとのこと。そこで広大な桜木霊園をあちこち歩き回ってようやく探し当てた。
お地蔵様はやはりあどけなく微笑んでいた。誰かが一体ごとにお花をあげてくれていた。そこに大きな記念碑が並んで建ててあり、碑文には、
水難除七体地蔵尊由来
昭和五年八月中東京府南葛飾郡小岩小学校尋常科第四学年二組井上章子十一歳沖野喜子十一歳友松ふじ十一歳玉置喜代美十歳松野喜代十歳ノ五少女 余ノ宅ニ止宿シ日々海水ニ浴シ只心身ノ健康ヲ図リツツアリキ偶八月十二日海上遊戯中誤ツテ前面ノ黒砂澪ニ陥リ 井上玉置ノ両児ハ不帰ノ客トナリヌ 同所ハ去ンヌル明治三十二年八月廿五日黒砂村遠藤つね十二歳山本はる十一歳高橋つね十四歳山本はな十四歳及ビ山本ひさ十歳ノ五少女貝採取ノ折 之レ亦誤ツテ此所ニ陥リ妥ク落命セル因縁アル所ナル由 今両児遭難ノ惨事アルヤ其遺族小岩稲毛黒砂ノ有志相議シ茲ニ七体ノ地蔵尊ヲ建立シ八月廿九日大施餓鬼ヲ施行シ逝ケル幼童ノ冥福ヲ祈ルト共ニ幾多遭難者ノ霊ヲモ慰メ以ツテ後来斯ノ如キ惨事ノ再発セザンコトヲ祈ル 余 當ノ責任者トシテ赤誠ヲ吐露シテ此ノ文ヲ草シ永ク後世ニ其由来ヲ傳ヘントス アハレ世ノ人々ヨ数多キ生霊ニ代ラセ給ヘル此ノ地蔵尊ヲ信仰シ災イヲ未然ニ防ガレヨ 在天ノ英魂ハ克ク一同ノ誠意ヲ享ケラレ永ク地蔵菩薩ノ慈愛ヲ以ツテ世ノ生霊ヲ護ラセ給ハランコトヲ希ウ
昭和五年八月廿九日
水難除七体地蔵尊
玉水院主
元小岩尋常高等小学校訓導 茅根興導撰文併書
此の由来碑には、幼い七名の児童らの海難の事実が記され、茅根氏は家族と決別し出家して僧となり犠牲児の供養に一生を捧げたという。「赤誠ヲ吐露シテコノ文ヲ草シ長ク後世ニ伝エントス」
教員としての贖罪に捧げた氏の遺志に私は粛然としたのである。