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古代人の石枕への思いとは
- 2014/9/26
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死者の頭部を支えた古墳時代の石枕。「石棺に直接枕を彫刻したもの、別作りで棺に嵌め込んだもの、単独のものがある。全国で発見された単独の石枕120例のうち70例が旧常陸国と旧下総国にまたがる常総地域に集中する」と話したのは講師の(公財)千葉県教育振興財団の白井久美子さん(市原市ちはら台在住)。9月10日、市津公民館主催市津倶楽部の第5回『古墳時代の石枕 石枕と死者のマツリ』が開催され、28名が聴講した。
かつて霞ケ浦、印旛沼、手賀沼は『香取海』と呼ばれたひと続きの内海で、北関東から石材などの物資を運ぶのに利用された。5世紀を中心にこの沿岸で広まった石枕は『常総型』と言われている。頭を置く部分を彫りくぼめただけの単純な形から『立花』という石製の装飾を枕の周囲の穴に差し込む複雑な形へと独自に発展した。常総型石枕の南限となる姉崎二子塚古墳では、白井さんが「最も美しい」と強調する国指定重要文化財の直弧文付石枕が出土している。
「立花は必ず石枕から取り外され発見される」そうだ。遺体を別の場所で一定期間安置する『殯』という儀式を行い埋葬したことと関連があると考えられている。白井さんは「西日本から伝え聞いた巨石をくり抜いた石棺への憧れが、石棺の加工に適した石材の採れない常総地域の古代人に独特な細工をした葬送具を作らせたのではないか。玉に霊力を求め、勾玉二つを背中あわせにした形の立花で死者を弔ったのだろう」と話した。