新緑の季節を歩く
- 2013/5/17
- 外房版
新緑の季節を歩く
~里山の自然と戦国時代の風を感じて~
4月13日(土)、千葉県いすみ環境と文化のさとセンター主催、『万木城の歴史と里山の自然観察』に同行取材した。参加者は10名。当日は最高気温15度とやや肌寒かったが、雲ひとつない青空で絶好のハイキング日和だった。10年ほど前から続いているこのコースは往復約5.5キロを歩く。講師である『いすみ郡市自然を守る会』メンバーの土屋喜久雄さんからの「それほど危険な場所はありませんが、マムシが出る時期だからご注意を。身近な木や草花について身近な人と話せるようになってほしいです」という話の後、同センターの敷地内からさっそく自然観察がスタート。
ブナ科であるクヌギ、ナラ、クリやオオムラサキの幼虫の好物だというエノキなどについてゆっくりと説明。土屋さんは木肌、葉のつき方や形、手ざわり、実のでき方、においなど五感を使って植物を見分ける。
足元では土の中で冬を越したバッタの仲間、ツチイナゴが顔を出していた。
万木堰を過ぎた辺りの道ばたに咲いていたのはキクの仲間であるハルジオン。「野に咲く草花は採取しないのが原則だが、たくさん生えている種類については調べるために1本ぐらいはよしとします」と土屋さん。採取したハルジオンの茎は空洞なのに対して、空洞でないものがヒメジオンだそう。「先生、これは?」と積極的に質問をし、熱心に耳を傾けメモを取る皆さん。ヤナギの仲間が群をなしている湿性生態園では「きれい!」、「素晴らしい!」という声が上がった。田んぼに水を入れる時期になると水が引き、根っこが見えてマングローブ林みたいになるそうだ。春と秋で異なる風景をぜひ見てみたい。
さらに尾根づたいに三光寺へと続く道を歩く。一見同じように見える2種類の小さな白い花。1つはシャクで葉がギザギザしており、もう1つはツルカノコソウといい、抜くと根本から数本のツルが伸びているのが分かる。紅葉の形をした葉が特徴的なモミジイチゴも生えていた。実はとても甘いらしいが、よく見ると棘がある。
続いて50メートルほどの長谷トンネルを抜け、万木城遊歩道を通り、119段の急な階段を上るとようやく万木城天守風展望台が見える万木の丘に到着。昼食を挟んで、いすみ市を一望できる展望台に昇り、いすみ市郷土資料館の学芸員である嶺島英寿さんから万木城の歴史について講釈を受けた。標高85メートルの丘陵にその昔、土岐氏が城主を務めた万木城があった。築城時期など不明な点が多いが、戦国時代末期には完備した城郭であったことが知られている。戦国時代の城は天守閣や石垣はなく、土塁で守りを強化していた。三方を蛇行する夷隅川が外堀の役目を果たし、尾根部を垂直に切り落とした「切り岸」、丘の上に棚状に多数の「曲輪」と呼ばれる平坦地を造成するなど自然の地形を生かし、うまく人の手を加えて築き上げたものだと言えるだろう。小田原北条氏の配下となった土岐氏は里見氏や正木氏、武田氏らの来襲を幾度も撃破したが、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏と運命を共にすることとなり、滅亡、無血開城により落城したと言われている。城の名前は「万木」と「万喜」、どちらも古文書に記載されているが、一番多く表記されているのは「万喜」だという。また、麓の横宿、築端宿、内宿などは城下町であったことがうかがえ、中でも内宿は城主や重臣の生活の場となっていた。これまでに行われた発掘調査では、「カワラケ」という使い捨ての素焼きの皿や炭化米などが出土されている。穀物倉庫だったと推測されている「倉の台」では焼け焦げた米が多数落ちていた。「戦国時代の米がいまだ残っているなんて信じられない」と皆さん驚きの様子。
かつて戦場であったこの地には現在、平和でのどかな風景が広がっている。
4月の心地よいそよ風の中、野に生きる植物の観察へと散歩は続く。小鳥の森ではタブやコナラの木にヤドリギが寄生しているのが見られた。ヤドリギの実を食べた鳥が運んだ糞により繁殖していると推測されるが、家主は枯れてしまうこともあるという。
最後に土岐氏の菩提寺である海雄寺で長さ5メートルを越す銅像釈迦涅槃像を拝覧。像の一部に正徳6年(1716)2月28日の日付や千人以上の結縁者や寄付をした者の人名が刻印されている。「こんなものを見られるとは思わなかった。感動!」との声も。
センターへの帰り、キラキラと陽光が反射している田んぼ脇の道では今日覚えた植物の名前を復習。「あ、あれはオギね。ススキに似ているけど節が見えるから」最後に見つけたのは白くて小さな花をつけたウワズミザクラ。サクラのとてもいいにおいがした。道を歩けばどこにでも生えている草花や木々。名前を知れば散歩がいっそう楽しくなる。