中3でプロ宣言! 日本人初の金メダル獲得
- 2013/8/2
- 外房版
中3でプロ宣言!
日本人初の金メダル獲得
プロボディボーダー 大原 沙莉さん
中学3年生の夏、ボディボーダーとしてプロ宣言した一宮在住の大原沙莉さん(18)。19年ほど前、サーフィンをするため東京から茂原へと越してきた両親に連れられ、小さいころから海に行くことはあったが、海に興味はなかったという。
小学校へあがるころ、茂原から一宮へと転居したが、小学校の友だちと遊ぶことに夢中。母親のお下がりのボードで海に入ることもあったが、やはり興味は持てなかった。それが小学校5年生の夏、海の中でボディボーダーの第一人者である小池葵さんから声をかけられた。「小池さんの一宮のサーフショップのスクールに来ない、一緒に練習しないって誘われたんです。で、1回行ってみたら、同世代の子がいっぱいいて、みんなで海に入るのが楽しかったんです。それまではひとりで海に入っていたので、お手本もなかったし、何を競うのかもわからなかった。だから数か月に1回海に入ればいいぐらいだったのが、それから毎日、学校が終わると海に入るようになって、なんか部活みたいですごく楽しかったんです」と、それからはボディボードに夢中に。
もともとセンスがあったのだろう。あのお姉さんみたいになりたい、あの技をやってみたいと思い、見よう見真似でやっているうちにどんどん上達していった。それがまた楽しかったという。そして周りの友だちが大会に出るようになると、大原さんも出場してみた。「最初は技も決まらないし、そんなに勝てなかったのが、気づいたら決勝に残ったり、優勝するようになっていた」そう。
中学になると優勝回数も増え、プロ資格を取得できる成績を残すが、「NSAというアマチュアの団体が主催する『全日本選手権』で優勝するのが目標だったんです。プロになるとその大会には出場できないので、プロになるのはずっとお断りしていたんです。でも中3の夏、念願の優勝をすることができてプロ宣言を決意しました」。その後、高校はボディボードに打ち込むため通信制の高校へ進学した。
しかし、生活が不規則になり成績もガタ落ち。「当時は生活のペースがつかめなくて、バイト中心の生活になってしまい、練習内容もスカスカで、親とはケンカばかりしていました」。これではいけないと思い、バイトもボディボードを優先してできるサーフショップに変え、今は朝と夕方海に入っている。「コーチにもついてもらっているので、第三者の目があるから課題も見えてくるし、刺激もあってすごく充実しています」。その結果、南米やハワイで行われる大会に参戦し、上位の成績を収め、昨年ベネズエラ・マルガリータ島で行われた『ISAワールド・ボディボード・チャンピオンシップ』では日本人初となる金メダルを獲得した。
そんな大原さんを母親は「何でもやりたがりのマイペース」だという。小学校の運動会ではハリきり過ぎて「翌日は声出なかったです」と笑う。体育の授業では真剣にやらない女子を「何度泣かしたことか(笑)。真剣にやらないとイライラするんです。昔の話ですよ」とまた大笑い。その性格はボディボードにあっていたようで、「個人プレイのところがよかったのかも。モチベーションとかも自分で考えてできるし、人に合わせることもないし、ストレス感じることはないですね」と笑った。
プロになり海外でも活躍するようになって思うことは、「波も全然違うし、街も食べ物も治安も日本とは全然違いますけれど、すごく楽しいです。つたない英語ですけど友だちも増えました」。そんな楽しさの反面、「日本でのボディボードの認知度、人気は今ドン底で、私たち世代が頑張らないと、と思っています。こうやって取材をしていただいたりすることで、少しでもボディボードを知ってもらって、広めていけたらと思っています」と日本でのボディボード人気に危機感も感じている。とはいえ、今年の夏も華麗なライディングでファンを魅了。今月再び海外での試合が控えている。(菅家)