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長年培った風を読む力で世界へはばたく
- 2017/2/24
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長生郡長南町在住の木島明良さん(57)は、昨年11月に開催されたF3K日本選手権で見事優勝、4度目の挑戦で悲願を果たした。F3Kとはラジオコントロール手投げグライダーの略称。手投げのラジコングライダーで、一定の時間内に課題の達成タイムを争う競技である。日本模型航空連盟主催の同大会に初めて参加したのは2011年のこと。自作のグライダーを用いて4位を獲得。
その後は市販のものを使用しているが、1m50㎝とかなりの大きさがある。翼端を持ち、身体を1回転させて空へ向かって投げるのだが、優勝するためにはいくつもの戦略が必要だった。「気象や他の競技者のタイムでも成績が左右されることが多いので、常に考えながら飛ばしています。タスクも11種類と多く、覚えるのも大変なくらいです。でも、条件をクリアするためにどう攻略していくかを考えるだけで痺れるくらい興奮しますね」と笑顔で話す木島さん。翼が空気中を進行すると、上昇帯や下降帯があり、わずかな時間で状況が変わる。空域の状況判断が重要になってくるが、木島さんを優勝に導いた瞬時の判断力と決断力は長年の賜物だ。
「茂原市役所に勤め始めて、仲間に誘われて行ったのが現在も続いている琵琶湖の『鳥人間コンテスト』です。2年見に行って、3年目に自分たちが出場したんです」。1983年のことで、当時ハンググライダーは日本に入ってまだ数年。仲間3人でほぼ独学で操縦技術を学び、九十九里海岸や館山のサンドスキー場に出かけてはただただ練習に励んだ。「仲間の家に仕事を終えてから集まって、夜中まで出場機を作っていました。鳥人間コンテストには計5回、10年かけて出場していたので、私にとっては青春そのものです」と木島さんは振り返る。
1991年最後の出場では2度目の優勝と当時の新記録を樹立、飛行距離は300mを超えていたという凄さ。「操縦しながら、最良滑空速度で飛んでいるかと周囲を見回していました。でも、飛んでいる景色は今でも忘れません」というのだから、さぞ爽快だったことだろう。30代の頃は、小さなエンジンを積んだハンググライダーで茂原市上空を飛んでいたこともあるとか。
また、日本模型航空連盟は世界選手権へ選手を派遣しており、選考規定は前年と前々年に開催された日本選手権の順位で3名が選考される。木島さんは2015年2位、昨年優勝という結果により、今年7月にウクライナで開催されるF3K世界選手権の出場も決定した。「機体は5、6機持っていく必要があります。これから他の選手やサポーターの方と打ち合わせや準備をしていくことになります」と胸をはずませていた。