養老川に建つ西広板羽目堰の歴史をひもとく
- 2013/10/5
- 市原版
養老川に建つ西広板羽目堰の歴史をひもとく
9月19日(木)、国分寺公民館主催で遠山あきさんによる講演が行われた。農民作家である遠山さん(96)がこの日話した内容は、『いちはらの魅力再発見』と題して養老川にある西広の板羽目堰について。会場には『ハッピー塾』、『シニア塾』のメンバーと一般参加者含めて約90人が集まった。
「西広の板羽目堰は、平成7年に美しい日本のむら景観コンテストで農林水産大臣賞を受賞した。今は電動式の鉄板による止水が使用されているが、板羽目式の堰解放の壮観さと我が身を捨てて命がけで堰造りに挑んだ渡辺善右衛門の功績を忘れてはならない」と遠山さん。遠山さんの話す内容で、前方に映写されるスライドが変わる。写真を見て参加者からも「大変そうな造り」、「養老川は暴れ川だからね」との声が漏れる。
渡辺善右衛門とは夷隅郡に生まれた名主で、西広に自身の村にも造った板羽目堰を構築しようと計画、農民から費用を捻出してもらい、両岸に土嚢を積み板羽目を並べ流水を堰き止めた人物。遠山さんは「ただ造ると言っても簡単ではない。杭には松を60本、板には杉の赤身材に限る資材を800本近く。水止めの俵も約900は必要になる。堰止めは川の水を止めて、4月から9月まで水田に水を引くためのもの。しかし、その時期は大雨が多い。房総半島は土が軟らかく雨が来るとみんな流してしまう」と続ける。農民に声を掛け、何度も堰止めを構築しても大水でひとたまりもなく崩壊する。そんな時代があったのかと普段は想像することもないだろう。
「失敗が続き無謀と思える計画に、地区農民は詐欺だ、気が違っていると呆れてしまった。そして善右衛門は自分の屋敷や田畑山林を売り払って自費で工事を進め、ようやく完成したのが6年後。私は男の誇りという凄さを感じる。上手くいかなくても後悔しない、たとえ孤独に死んでもやると決めたらやり遂げる強さ。戦死を遂げた方々と少し重なってしまう」と遠山さんはゆっくりと、しかし強く語った。
かねてより房総を愛し、自然にとくと目を向けてきた遠山さんの長編小説『小湊鉄道のあけぼの(流紋)千葉日報社刊』が7月に再版された。「川は、昔はもっと生活に密着したものだった。今は下水の捨て場、雨の流れる場所でしかなく、遠く感じるようになったのは寂しいこと。人間は金銭への欲が増えて自然に目を向けることが少ない。どんな人でも良いところが必ずある。それを見過ごしたくはない。人間同士、そして自然のこともより大切にしてほしい」と話す遠山さんの言葉をより理解するには、未来だけでなく過去にもきちんと目を向けることが必要なのかもしれない。
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