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集え!我ら茂原新潟県人会へ
- 2018/8/24
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茂原市在住の山田清さんが『茂原新潟県人会』を設立して13年が経った。設立のきっかけは2004年に発生した新潟県中越地震。1995年の阪神淡路大震災以来、観測史上二度目の最大震度7の直下型地震は、道路の陥没やがけ崩れなど甚大な被害をもたらした。
震源地でもある新潟県川口町出身の山田さんは、地震の翌朝に現地に向かった。実家の倒壊は免れたもの、付近は陸の孤島状態。ラーメンや毛布、水やブルーシートなどの支援物資を積んだ2トントラックは国道の損壊が激しく集落まで進めず、被災住民の手を借りながら担いで運び込んだ。 「千葉でも何かできないかと、昭和初期に新潟県の山古志村で実際にあったトンネルを手掘りしたという実録に基づいた作品でチャリティー上映会も開催しました」と振り返る山田さん。
700人の観客から集った義援金は約65万円で、茂原市を通じて新潟県に贈られた。「新潟のために何かをしたい」という想いから始まった同会は現在85人程度で活動し、主に年4回の懇親会で親睦を含めている。「親睦会では方言を使って話すことで、大昔から知っている友達のような気分も味わえます。また、会の趣旨に賛同していただければ、新潟県出身でない方ももちろん加入できます。季節によっては新潟名物のちまきや笹団子、のっぺ汁などを振舞うので、ぜひ遊びにいらしてください」と、山田さんは呼び掛ける。
そして、茂原市には東日本大震災関連の避難者が現在も35人いる。同じ災害という現実を経験した者同士、故郷は違うとはいえ、言葉にしなくても通じ合えるものがあるという。新潟県人会を発足した経験から、山田さんは7年前に茂原市で『宮城県人会』の代表発起人として声を上げた。最近では『福島県人会』の発足準備委員会もスタートし、福島県出身者を含め協力者を募集中。それぞれ賛助会員としてアドバイスを続けている。
さらに、山田さんは4年前に脳出血で倒れ、左半身に麻痺が残っている。元来、消防団に所属し、千葉県災害コーディネーターの資格を取得するなど災害対策に熱心だった。自身の闘病経験は、災害時に高齢者や障がい者、妊婦などの要援護者をいかに救い上げられるかという気持ちを強くさせているとか。
たとえ故郷を離れても遠くから想い、地域の人にもっとよく知ってもらいたいと願う。「昔は、よそ者が余計なことをしてはいけないのかと考えたこともありました。でも、何でも実行しないと始まらない。やってみてこそ力になるんです。いつか各都道府県の『県人会』が集まって、協議会及び懇親会ができるようになったら嬉しいですね」と、山田さんは抱負を語った。 同会は会員を募集中。年会費は千円。詳細は問合せを。
問合せ 山田さん
TEL 090・3102・7922