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Jリーグ昇格へ、地域のシンボル的クラブへ
- 2018/6/29
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VONDS市原FC ゼムノビッチ・ズドラブコ監督
2011年、「市原市にJリーグチームを!」を合言葉に発足した市民サッカークラブ『VONDS市原』。千葉県リーグ1部からスタートし、県リーグ優勝、関東リーグ2部に優勝し、関東リーグ1部へと順次昇格してきた。14年には全国社会人サッカー選手権大会で3位となり、アマチュアチームの最高峰・JFLへの昇格戦でもある全国地域サッカー決勝大会(現・全国地域チャンピオンズリーグ・以下CL)へ出場したが、1次ラウンドで敗退。昨年は関東リーグ1部で初優勝し、CLの決勝ラウンドまで進んだ。
目指すのはJFL、そしてJリーグへの昇格だ。今年のリーグ戦第6節まで、VONDSは全勝。就任3年目となるゼムノビッチ・ズドラブコ監督(64)は「目標は今年も関東1部リーグ優勝、CL出場、そしてJFLへの昇格です」と話す。 「去年は2度目のCL出場で、1次リーグも1位で突破。けれど決勝ラウンドで全3戦ドロー、PK戦で負けた。JFL昇格は決勝の上位2チーム。最後の最後、あと10センチ、ギリギリのところで足りませんでした」
就任当初のVONDSは、チーム全体が若い印象だったという。監督が采配した1年目、チームは途中までリーグ1位だったが、最終的には2位に甘んじた。「リーグ戦は長期の勝負。昇格には、チーム全体で経験やセンスなど、もっと高めないといけないと感じました。それには選手もスタッフも、チーム一丸となってまとまることが大事です。グラウンドの中も外も関係なく、チームのために皆で協力していく。出場メンバーに選ばれない選手も、必ずサポートに回る。そうしたチーム・コンセプトが大切です」
ゼムノビッチ監督の出身はユーゴスラビア(現セルビア)。来日して約20年、永住ビザも取得し、選手・スタッフとも日本語で会話する。初来日は1992年のキリンカップ、ユーゴスラビアのクラブチームスタッフだった。その頃の監督は、ユーゴスラビアで3つのクラブの監督を歴任し、全クラブでリーグ優勝を成し遂げている。その後再来日し、鳥栖フューチャーズのコーチ、清水エスパルスのユース監督などを務めた。清水の監督になると、ゼロックススーパーカップを連覇し、天皇杯
勝利も敗北もチーム皆で担う
そうした監督の価値観もあってか、選手に対する要求は、サッカーの技術だけにとどまらない。「私は常にベストのメンバーを選ぶ。選ばれなかった選手は、その理由を理解し、次の試合に出られるよう互いに競争し、リスペクトし、サポートし合う。そうした良いライバル関係が築ける人間性やしっかりしたメンタルを持っていることが一番大切。皆でレベルアップするには必要だから」。VONDSの勝ちは皆の勝利、陰で支える選手もスタッフも勝利者。負ければチーム全員の敗北だ。歓喜も悔しさもチーム全体で分かち合う。それがチームワークだと監督は言う。「今日、この時に何ができるのか、明日はどれだけのことができるのか。いつでもどこでも、チームの皆が同じ問題を共有し、解決していくこと。けれどピッチ上では先輩・後輩もなく、それぞれが全力を尽くす。チームはレギュラーが定着している部分もあり、安定感を増していますが、実際、どの選手が試合に出てもおかしくないですよ」
VONDSには、元日本代表・山岸選手も加入し、レナチーニョ選手もゴールを多数あげている。元Jリーガーらの経験も、チームには大切だ。彼らが全体のレベルアップに導いていく。監督は、千葉県サッカー協会テクニカルアドバイザーとしてアマチュアの指導、日本各地でのサッカー指導者講習会、さらには日本代表のチーム外ではあったがサポート役などもしてきた。日本サッカー界の各クラスに関わってきた指導者でもある。「日本代表でもアマチュアリーグでも、目指すことは同じ。勝ち点3を取ること、そしていいサッカーをすること。VONDSには市原のシンボルのクラブになる、というビジョンがあり、しっかりしたベースも熱意も持っています。私は誰が見てもVONDSというチームは凄い、と言われるように目指したい。市原のシンボルとしてクラブが続いていけるように、チームで頑張っていきます。そのためにも今年はリーグ完全優勝。皆さんには、ぜひ、仕事をしながらサッカーへ熱心に打ち込む、彼らへの応援をお願いしたいです」
基礎から少しずつ向上していくのが一番良い、と監督はインタビュー中に何度か言った。VONDSはその地道な行程を確実に進んでいると。「だからきっといつか、VONDSはJリーグクラブになるのは間違いないですね」。監督は明るい笑顔で断言した。