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【市原市】広がる日本語教育 世界から日本はどう見えているのか 神田外語大学4年 大水優香さん
- 2019/5/30
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市原市在住の大水優香(おおみずゆか)さんは昨年5月から今年3月にかけて、国家プログラムの1つ『日本語パートナーズ派遣事業』によりタイの中高一貫校で日本語を教えていた。「タイの東北部にあるシーサケート県は日本から飛行機で7時間ほど。バンコクで乗り換えが必要な田舎の地域です。10カ月間でカルチャーショックを受けることも多々ありましたが、現地の子ども達はとても素直で可愛く、充実した日々を送ることができました」と、満足そうな表情で話す。
大水さんは今年4月、神田外語大学の英米語学科で4年生に進級。昨年1年間は学校を休学してタイへ派遣されていたが、きっかけは独立行政法人国際交流基金が行うこの事業の存在を知ったことだった。「大学には留学生も多く、色んな国の人と交流し、考え方を学べます。夏休みや春休みになると、航空券だけ手配して多くの国を訪れました」という大水さんが旅行したのは、アメリカやカナダ、イギリスやニュージーランドなど。北欧のスウェーデンやノルウェー、フィンランドは1人で周遊した。将来的に海外で働くことも視野に入れている大水さんにとって、大きなキャリアにもなるだろう同派遣事業。「ただ1年休学して行くことを両親に反対されるかもしれなかったので、テストや面接をすべてクリアしての事後報告だった」というほど、強い意志を持っての挑戦だった。
タイでは母国語の他に学習する第2言語教育が進んでいる。全校生徒4千人と、県内では一番大きい学校だった派遣先では、日本語を履修している生徒が約1100人。
「日本に興味を持ったきっかけはアニメという生徒が多く、桜や雪など四季にも強く興味をもっていました。私達が日本の授業でタイについて学ぶことはほとんどないけれど、タイの小さな田舎町でこんなにも日本を愛してくれていることに感動した」という、大水さん。授業では日本語を担当するタイ人教師のサポートを行い、学校でイベントが開かれた際には浴衣の着付けや書道、折り紙の紹介をした。大学では日本語教師養成講座を受講し、派遣前の1カ月間は国際交流基金が実施する研修に参加、日本語の教え方の多くを学んできた。しかし、現地に入れば教科書通りにいかないのが常だ。「日本語をどう教えたいのか、そして教えるべきか。私の思いに対して、現地で何ができるのか。最初の2週間は、日本人が何を求められているのかを必死で観察しました」。
外国語を1つの授業として捉えがちな日本では、成績として見える点数のために勉強している生徒も多い。だが、大水さんは日本語がコミュニケーションのツールとして成立することを、彼らに行動で示すことを目標にしていた。「授業で習った文法を使って答えられるように、授業外で彼らに質問していました。より自然な会話法です。生徒たちはみんな人懐っこくて、休日は生徒や現地の先生と一緒にカフェに行ったり、観光したりしました」と、懐かしそうに写真を眺める。
肌で感じる異文化とは
1年の平均気温が35度と高く、20度まで落ちるのは12月の2週間ほど。スコールが襲う雨季が過ぎれば、全く雨の降らない乾気がやってくる。食事の味付けで、辛い物は味が分からなくなるほど。家の中に虫が飛んでいるのは当たり前。雨漏りをしてペットボトルを置いて凌いだこともある。だが、「タイは家族の繋がりが深く、家族同然に私を受け入れてくれました。日本人は人に迷惑をかけないことを美徳としているけど、タイでは悩みを分かち合うんです」と、振り返る大水さん。
職員室では教師同士の会話を聞いてリスニングの力を伸ばし、レストランのメニューを写真で撮影しては自宅に帰って文字の練習をした。イタリアンが好きな大水さんのために、誕生日にはピザに蝋燭を立てて祝ってくれた生徒たち。「長期に渡り他国に滞在することで、日本は日本人のために存在している国だと改めて思いました。タイは男子生徒が化粧をしてくることも普通で、性についても寛容。男女の距離も近く、マイノリティの境界線が薄いので生きやすいんです」と熱く話す大水さんは、就職活動の前線に立った。まだ明確な進路を決めた訳ではない。だが、「私がタイで学んできたことを少しでも日本で伝えることこそ、今の私の役目だと思っています」と、目標を語った。
問合せ:大水さん
3151257@kuis.ac.jp