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「平和は黙っていても降ってこない」小中学校で平和の語り部活動~茂原市遺族会~【茂原市】

【写真】小学校での平和の語り部授業。左から講師を務める清水さん、中村さん、丸島さん

 『茂原市遺族会』は昭和22年(1947)の発足。アジア・太平洋戦争戦没者の慰霊、遺族の福祉向上、恒久平和の確立などを目的として設立された。2021年には、終戦75周年記念誌『あゆみ』を発行。その反響の大きさから新たに『平和の語り部委員会』を立ち上げ、戦後80年を迎えた2025年度より、茂原市内の小中学校で戦争体験を伝える出前授業を行っている。遺族会顧問で同委員会会長の中村孟さん(94)は「直接話すことが大切。戦争を知らない若い世代が次の語り手となり、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継いでいってほしい」と願いを語る。

記念誌『あゆみ』

 アジア・太平洋戦争における日本人軍人・軍属の戦没者数はおよそ230万人とされる。戦没者遺族援護の道が開けたのは、終戦から7年がたった昭和27年に日本が独立を回復し、『戦傷病者・戦没者遺族等援護法』が制定されて以降のことだ。
 昭和7年(1932)生まれの中村孟さんは、戦前から鉄道省に勤める父・峰司さんの仕事で山口県山口市に暮らし、昭和12年に日中戦争が始まると、父は陸軍鉄道輸送指令部に召集された。峰司さんが終戦のわずか40日前に香川県高松市の空襲で戦死した時、中村さんは13才だった。母は5人の子どもを連れ千葉県土睦村(現睦沢町)の父の実家に戻るも、肩身が狭い親戚との同居と食料・物資不足に辛い生活を送った。遺族会副会長の丸島弘也さん(82)が生まれた昭和19年(1944)3月、父・芳夫さんは出征していた。長男出生の知らせを戦地に送ったが返事はなく、芳夫さんは丸島さんの顔を見ることのないまま、昭和20年1月に西部ニューギニアで戦死。丸島さんはまだ10カ月の乳児だった。丸島さんは2014年、日本遺族会主催の慰霊友好親善団の一員として西部ニューギニアを訪れている。

中村さん5才(左端)の家族写真。
S12年7月、召集を覚悟した父・峰司さんは家族写真を撮った。この1カ月後、峰司さんは出征した

 中村さんの母は遺族会婦人部の第2代部長で、丸島さんの母も婦人部メンバーとして活動していた。中村さんも丸島さんも、母親たちが仕事で忙しいなか遺族会の活動に奔走する背中を見て育ち、自然と後を継いで尽力している。現在、遺族会の会員は330名ほど。その大部分が戦没者の子で高齢化している。
 終戦75周年記念誌『あゆみ』は、5名の編集委員により2年半を費やし編纂され、茂原市遺族会のこれまでの歩みと戦争の悲惨さを伝える証言を多数掲載している。「戦争のためにいかに遺族が苦しんだかということを赤裸々に書いた」と、中村さん。特集として組まれた座談会では、出席した遺族13名のうち「父親の遺骨が帰って来ない」、「写真でしか父の顔を知らない」人が8名。出席者の父親が亡くなった時の母親たちの平均年齢は29才だった。それぞれが「大黒柱を失い、寝食を削って子どもたちを育て上げた母親の苦労」を口々に語っている。丸島さんは、茂原公園の忠霊塔に刻まれる1400柱ほどの戦没者の亡くなった年齢、年月日、場所を調べ、出身地区ごとに名簿を作成した。戦没地は、北方シベリアや中国から南方の島々まで広域で、戦没者は終戦に近づくごとに数を増す。年齢は10代が33柱、20代が686柱、30代が362柱と、数字が戦争の惨さを見せつけている。

終戦75周年記念誌『あゆみ』

体験者の声を届ける

 『平和の語り部』活動には、『あゆみ』の発行が大きなきっかけとなった。記念誌は、県内と全国の遺族会、長生郡市の小中高等学校や図書館などに贈呈され、60通を超える感想文が寄せられた。その中には「今後、悲惨な戦争の実態を多くの人にどう伝えて行くか」との問題提議があり、それが若い世代への出前授業へと結びついた。
 2024年、中村さんらは市内小中学校校長会に出席し、平和の語り部の出前授業の受け入れを要請した。スタートとなった2025年度は、手を上げた中学校3校と小学校3校で実施。講師は、中村さん、丸島さんと遺族会会長の清水博也さん(87)の3人が務めた。授業では『戦争とわたしたち』という題で、3人の父の出征と戦死、戦中戦後の家族の暮らしや市内の掩体壕などの戦争遺跡について、家族や戦地からの手紙などの写真を提示しながら子どもたちに丁寧に語りかけ、熱心に耳を傾ける子どもたちには涙ぐんでいる子もいた。
 子どもたちからは、「教科書で読むより、実際に話すのを聴けて良かった」「平和な今の暮らしが昔の人の苦労の上にあることがわかった」「もっと詳しい話を聴きたい」など、たくさんの感想が届けられた。丸島さんは、「非常に真剣に聴いてくれるのにはびっくりした。まだ幼い子どもたちが、私たちが話すことをきちんと受け止めてくれていることに驚きました。本当にやってみて良かった」。中村さんは、「戦後80年もたつと歴史も風化してしまって、茂原に飛行場があったことを知らない子がたくさんいるので説明をしました。子どもたちは真剣な目で見てくれました。私の父母も喜んでくれたと思います。まだ訪れていない小中学校、そして高校でも是非やりたい。今後とも平和を守るため、この語り部活動を続けていく固い覚悟でいます」と言葉に力を込める。

中村さん(左)と丸島さん

問合せ:茂原市遺族会
・中村さん
Tel.0475・22・3918
・丸島さん
mail:hiroyasangaya@mac.com