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自分も仲間も楽しめるダンスを~ダンス教室主宰 堀切徳彦さん~【市原市】
- 2024/7/11
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【写真】教室の講師と子どもたち
JR浜野駅前と五井駅前でダンススタジオを経営する堀切徳彦さんは、ダンス仲間にはNALUの名で知られている。昨年は、ダンス教室で学ぶ子どもたちの中から、全国ダンスパフォーマンスコンテスト全国大会と、エイベックスのキッズオーディション「キラチャレ」で、それぞれグランプリ受賞者が出た。「中学2年で初めて友人たちと体育館で踊ってからヒップホップダンスに夢中になって、気づけば教え子がダンサーとして活動する歳になっていますね」と快活に笑う。
親との約束
堀切さんの高校時代は野球少年。拓大紅陵高校野球部で、寮に住み、補欠だったが野球を頑張っていた。一方、ダンスの楽しさも忘れられず、夜、こっそり寮を抜け出しては駐車場で一人練習していた。「寮長にばれて、野球以外をやるなら帰れ、と怒られました」。本格的にダンスに邁進したのは進学してから。堀切さんが衝撃を受けた、ヒップホップダンサー・いとうなおき氏のダンス教室に通い、大学のダンスサークルほか、あちこちで踊って修行した。「絶対にダンスで生きていく、と決めていました。就職活動をせず、父から『会社員にならないなら見える形にしろ』と言われたので、土下座して29歳までにダンス教室のスタジオをつくる、と約束しました」
プロとして活動したのは24歳から3年ほど。渋谷を中心に、宇多田ひかるやEXILE、KICK THE CAN CREWなどのダンサーの仕事をしたのもその頃だ。20代後半には、堀切さんは父親との約束通り、ダンス教室を市原で始める。「高校の時に両親が市原に引っ越していたのが、立地選びの元になったと思います。最初はyouホール(現いちはら子ども未来館)で部屋を借り、自分でチラシを作って配りました。五井のスポーツ教室でダンス講師をしたり、市原のダンス仲間と五井駅前で踊ったりもしていましたね」。千葉市緑区古市場で、独立したダンススタジオ・ネルソンをオープンしたのが29歳。まだ東京在住で、通いながら講師と教室経営を行った。「勢いでやっていたのはあります。子どもたちに教えるのも楽しくて、大きな音をかけて大声で指導しながら踊ってました。喉に負担かかって、ポリープを取る手術までしましたね」。オープンしたスタジオに父親はとても喜んだ。鏡の前でゴルフのスイングを確認していた姿は、忘れられないそうだ。
夢を後押し
ヒップホップを始めとするストリートダンスの魅力は「良くも悪くも自由」と堀切さんは言う。荒々しい動作も柔らかい動きも、好きに組み合わせて表現する。初心者がすぐに踊れるステップがあり、誰もが入りやすく、レベルアップの成果も出やすいという。「パワーの発散や感情の解放、自分を引っ張ってくれるエネルギーの爆発。メッセージの主張も強い。大きな音でガンガン踊ったり。髙田馬場で夜中のダンスバトルに通っていた時は、クランプというジャンルで、これも衝撃を受けたダンス。ロスで生まれた攻撃的な振り付けが特徴で、集まっていた人たちも凄かったですよ。三代目J SOUL BROTHERSのメンバーもいましたから」
子どもたちの夢も様々。ダンス強豪高校への入部や、プロダンスリーグ『Dリーグ』のプロダンサー、ダンススタジオのトップを決める全国大会。「子どもたちの上を目指す熱意は凄いです。経験を積ませたいので、選抜チームでチャレンジしたり。ダンスを通じて自信をつけて欲しいとも思います」
2年前に浜野駅前に移転した教室は、来年15周年になる。五井駅前の教室は今年で6年。カルチャースクールやサークル運営などもあり、優秀な講師も多数。自分の体ひとつで楽しんできたダンスは、皆が集まる場所になり、コミュニティの場にもなっている。インスタで配信した動画も人気だ。「ヒップホップのベーシックなステップを分かりやすくやったら、なぜか反響が出て。40代のおじさんが踊ってるのが面白かったのかも。これからも、自分も楽しく、気持ち良く汗をかいてスッキリする、人生に明るくプラスになる笑顔の絶えないダンスを伝えたいです」と堀切さん。最後に「親孝行もしたいですね」と付け加えた。
・8/1~新規体験あり
教室の詳細はHPにて
https://studio-nelson.jp/