地元能満をもっと知りたい

 市原市能満で生まれ育った榎本悦さん(69)は小学生のころ、母親から地名の由来を「能力がある人が住んでいたから」と聞いていた。しかし、最近地元の歴史を詳しく知りたくなり、「一念発起し、素人なりに地元を歩いたりインターネットで調べたりしました」と話す。
 地名は仏教用語の悉能満足波羅蜜から名付けられたという説や作物が満ちる土地の意などがあるらしい。明治時代の上総国町村誌には能満村は、もとは国府や守護所のあった場所につけられる『府中』だったと記されている。興味深いことに榎本さんは、「日本の地名は縄文時代にマオリ語を話す民族が渡来し、名前を付けたという説をネットで検索して知りました。能満はマオリ語で『ノホ・マナ』、意味は『権力機構が駐在する土地と書かれており、まさに上総国府のあった所」と感じたという。
 榎本さんの案内で能満の史跡を訪ねてみた。自宅から徒歩2、3分のところにある小さな能満天神社は「氏子総代とともに調べたとき、明治3年の屋根の修復を記したと思われる木札、入り口付近に江戸期享保の年号のある道祖神や昭和天皇お手植えの榊を確認しました」。北側にはかつて月輪寺もあり、「地形から近くに国府の重要な建物があったのでは」と推測している。また、「近くの坂を下った所には『かまくら道』の道標があったと話すお年寄りもいます」と貴重な証言も明かした。
 旧能満村の鎮守だった、日吉大神の使い猿の狛犬が目を引く『府中日吉神社』は、三方を谷田に囲まれた舌状台地『能満城跡』の一郭にある。創建673年と伝えられ、一番奥にある県指定文化財の本殿は室町時代(15世紀中頃)の建築とされている。手前にある拝殿と本殿は幣殿でつながっていたが、昭和61年の解体修理で、切り離され、創建当時の姿に戻った。「賑わいを取り戻したいと、毎年元日におふくろの伝授の甘酒を振る舞っています」とのこと。
 その北西にあるのは地元の檀信徒が「おおでら」と呼ぶ、創建724年と伝えられる古刹『釈蔵院』。徳川家康公に関連する記録も知られており、15万石の格式があった。榎本さんは「昭和36年、私が中学生だった時に火災があり、弘法大師堂以外は燃えました。現存していれば国の文化財になったはず」と残念がる。昭和42年、本堂再建。昭和49年、旧能満公民館にあった薬師堂(昭和51年焼失)にあった鐘楼が移築された。平成15年に発見された『釈蔵院文書』(市指定有形文化財)には『府中釈蔵院』という呼び名が記されており、上総国府の謎を解く重要な手掛かりとなっているそうだ。
 東宿町会長、千葉県災害対策コーディネーター連絡会事務局長なども務める榎本さん。自ら『市原の歴史を知る会』と称し、市原市の地名の由来や中世の城などを冊子にまとめている。「地域の歴史を知り愛着を持つことが、住民のつながりを強め、安心・安全で楽しい街になるという思いで活動しています」と頼もしく語った。

問合せ 榎本さん
TEL 090・3545・1113

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