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マラソンは人生のよう
- 2018/11/9
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どこまでも続く道を笑顔で駆け抜ける
上野美津子さん
市原市在住の上野美津子さん(69)は誰もが驚くパワフルなシニアに違いない。24年前、当時夫が関西へ単身赴任を始めたのをきっかけに、少しだけ余裕の出来た生活に何かを見出そうとマラソンを始めた。「市原市主催で行われていたナイタージョギング教室に参加することにしたんです。その頃、子ども達は中学生で少しは家を空けることもできました。幼稚園で栄養士の仕事をしていたので、夕方自宅に戻って食事の準備をしてから、練習に行っていました」と振り返る上野さん。
当時からアクティブな行動力が窺えるが、そこから驚くような結果を残していく。北海道にあるサロマ湖100㎞ウルトラマラソンやしまなみ海道100㎞ウルトラ遠足、山口萩往還マラニック大会では250㎞を完踏。海を越え、有名なホノルルマラソンだけでなく韓国ソウルでも100㎞マラソンに参加し、完走した。「走り始めの最初は5㎞マラソンからだったんですが、徐々に距離を伸ばしました。今までにフルマラソンを49回、ウルトラマラソンを51回走っています」という。
ウルトラマラソンとは、マラソンの基準距離となる42,195㎞を超える長さのもので、2日間眠らずに走り続けることもある。「休憩所で1時間ほど仮眠をとる方もいますが、食事をとり、絆創膏を貼り替えるだけで時間がとられてしまう。制限時間もあるので、私は一睡もしませんでした。そのため走っている最中、両隣に本当はいない人が見えるなど幻覚症状もでたんです。終わってしまえば、笑い話ですけど」と、明るい。
上野さんはマラソンを始める前にも地元の水泳教室に5年ほど通ったり、同時期から山登りを続けたりと身体を動かすことが大好き。習得率は高く、全く泳ぎができなかったところからのスタートだったにも関わらず、5年間であらゆる型をマスターした。他にも、自宅の庭で茄子やトマト、オクラやブロッコリーなどの野菜を作り、自然と触れ合うことが趣味。
「マラソンで北海道から沖縄まで日本のあちこちを回っていますが、特に好きなのがその土地柄を楽しめることです。走っている時に目に映る景色、休憩ポイントで提供してもらえる名産品は何より代えがたいもの。北海道のマラソンでは一度メロンが出て、どんどん食べて!という声に甘えて丸ごと一個くらいは食べちゃったかも」と、笑顔の上野さん。マラソン会場で地方の友達ができ、再び訪れた大会で友達と会えた時の喜びもひとしおだ。
「あんまりじっとしていることが得意じゃないんですよね」と話す上野さんは自宅でリラックスする時、何をしているのだろうか。現在は子どもが自立して、夫と二人暮らし。仕事を続けながらも、家では小説を読んだり、折り紙で特大のくす玉を作ったりして過ごしている。飼い犬のミニチュアダックスフンドも癒しには欠かせない。
今では生活の一部に
マラソンを始めた当初はナイタージョギング会への参加と、友達とゼットエ―武道場で行う自主練習と週に2回走るだけだった。持久力が上がり、マラソンへの熱が加速するにつれて練習量は増加。今では、月曜日には体育協会主催のエアロビクスへ通い、火曜日から木曜日は自宅周辺を10㎞走る他、週1回はゼットエ―武道場のランニングマシンを使用する
ランニングを欠かさない上野さんは、大抵のことで息が切れるようなことはない。「今年の夏は酷暑だったので涼しい時間を狙いました。自宅の市原市青柳から袖ケ浦高校の脇を抜けて、ドイツ村の前を通って、立野の交差点を過ぎて、自宅に帰ると大体38㎞。朝の7時に出て、13時くらいにまでかかりますが、一回出たら帰らないといけないでしょう」と、苛酷だ。『なんてことない』という風に話す姿からは想像できないが、距離に換算すると毎月練習と大会を合わせて300㎞は走っているとか。
「家族も応援してくれています。夫は私を送るために山口県まで車を出してくれたり、マラソン大会中も給水の補助をしてくれたりと感謝しています」と、上野さんは続けた。なにより、「走り終わった後に飲むビールは最高!」と見せる笑顔は元気いっぱいだ。夫と共に抱く『日本の百名山を登る』という目標も、今では85の山を登頂した。「マラソンに関しての目標は、千葉県館山市で毎年1月に開催される若潮マラソンに出場することです。年齢で区分けされて、タイムごとに表彰されるんです。70歳になって表彰台に登れるなんて、とっても素敵なことじゃない?」と、上野さんは最後まで凛とした笑顔を見せた。
問合せ 上野さん
TEL 0436・22・8054