市原市を拠点に活動しているVONDS市原ジュニアソフトボールクラブが、今夏に大阪市で開催された『第19回全日本中学生女子ソフトボール大会』に千葉県代表として出場した。3年生の4名は同大会を機に引退したが、彼女たちの活躍は目覚ましかった。第27回市原市会長大会をはじめ、市原市民大会や第1回千葉県選抜大会、第13回望洋杯など年間で見事8冠の優勝という好成績を収めた。また、近年のソフトボール人口の減少により提唱されている6人制ソフトボールの、第3回6人制ソフトボール大会でも優勝した彼女たちは、どんな体制であっても強靭なチーム力を発揮できることを証明した。
チームの軌跡
同チームの創設は平成23年のこと。市原市内にある中学校のソフトボール部が減少していくことを危惧した千葉県ソフトボール協会役員の鈴木恒行さんと谷川清さんが中心となって立ち上げた。小学生の時にソフトボールをプレーしていた子どもたちが、中学校に進学すると続けられる環境が少なくなり、勿体ない。とはいえ、同チームの創部当時は男子1名、女子1名でのスタートだったとか。チーム監督の石峯玄規さんは、「私がソフトボールを通して彼女たちに伝えたいのは、プレーができる環境に感謝すること。『楽しむ』ためには各自がやるべきことを自覚して、必要な準備をすること。勝利した瞬間に、全員で『楽しむ』を体感することの3つです」と話す。
練習は毎週土日の朝8時~夕方5時まで。市原市ちはら台や国分寺台の小中学校のグラウンドを拠点とするメンバーにとって、練習内容だけでなく移動時間も決して容易ではなかった。それは、プレーヤーの減少を如実に表しているともいえる。キャプテンを務めた佐久間美緒さんは茂原市立南中学校に通っている、しっかり者だ。中学校では野球部にも所属し、男子に交じって汗を流している。仲間からも、「同学年だけでなく、後輩に対しても、チーム内で言いにくいことを率先して口にしてくれる強さがある。プレー以外でも多くのことを支えてもらいました」と、信頼は厚い。鎌ケ谷市立第二中学校の小日向桃香さんは、サードを守った。「全国大会で負けたことは、今でも一番悔しい。でも、試合中は親が作ってくれた応援歌でモチベーションを上げて、楽しかったです。ソフトボールをやってから50m走のタイムも上がり、色んな自信に繋がりました」と、小日向さんは振り返った。
「初めは、先輩の厳しさを感じることもあったけれど、今ではそれがあったからこそ強くなれたと思います。石峯先生も練習は厳しいけれど、試合で固くなっていると笑いでプレッシャーを崩してくれました。自分がエラーをすると悔しかったし、後輩に抜かされるのではと不安になった時もありました。でも、高校に行っても、やっぱりソフトボールを続けたいです」と話すのは、木更津市立第二中学校の佐久間心奏(ここな)さん。きつかった練習のメニューや憧れた先輩の名前、試合中に起こったハプニングなどを話しては、笑いが巻き起こる。学校も住んでいる地域も違う彼女たちは、ソフトボールで確かに強く繋がっていた。
大切なライバルに
今では、「大会が終わるのが寂しかった」と口々に話し、お互いの学校やプチメイクについてなど話題のつきない4人。千葉市立椿森中学校の萩原音波さんは、「同じ高校でソフトボール部に入ったら楽しいだろうけど、違う学校で敵として戦ってみたいかも」と、期待を膨らませた。小学校1年生からソフトボール経験があり、初めはピッチャーに指名されていた。しかし、精神面を含めて自分には外野が向いていると自己分析。監督に自ら訴えてポジションを変更した。ひょうきんな一面を持ち、常に仲間から笑いを突っ込まれているように見えて、「いつでも好プレー」、「肝心な時に打ってくれる」との評価。笑いの発信さえ、彼女自身がチームの雰囲気として大事な自らの役割だと捉えているようにも思えた。
監督からも信頼された4人が引退し、同チームは新たな出発点に立った。石峯さんは、「練習グランドを確保出来なかったり、スタッフ不在の練習が続いたりしたこともありました。昨年までのOGたちに比べると、4人はかなり厳しい立場だったと思います。彼女たちは『年間8冠』という結果に貢献した頼もしい存在でした。ぜひ、チーム存続の為に新入部員の応募をお待ちしています」と呼びかけた。ソフトボールで青春の日々、送ってみてはいかが
問合せ:VONDS市原ジュニアソフトボールクラブHP
http://www.ikz.jp/hp/cosmojr/