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フルコース
- 2016/1/22
- 市原版, シティライフ掲載記事

文と絵 山口高弘
連絡がなかった親友から便りがありました。写真の中で奥さんと、小さな命を抱いている。無事に産まれたんだ。出産祝いを用意して、僕は会いに行きました。
休日の古いビルの隙間にある、事務所の階段の下。夜7時、弁護士をしている彼が、無精ひげを生やして職場から現れました。「仕事が多くて連休も事務所に缶詰めで。今日は赤ん坊に会わせる時間がない、ごめん」大丈夫、そのうちに。「産まれてから俺もあまり会えてなくて。夕食なら時間が取れる、行こう」しかし連休のビジネス街はどの食堂も閉まっていて、見つけた店は老舗の高級レストランでした。入るしか、ないか。
ピカピカの床の上を、無精ひげの親友とジーンズの僕がつかつか歩いていきます。半個室の向こうで、着飾った家族連れがぎょっとしている。若い女性客が驚いてフォークを止めました。「場違いだね」僕らは男二人です。ふざけ半分で、恋人達が記念日を祝うようなフルコースを注文しました。
蝶ネクタイをしたおじいさん従業員が、洒落た手つきで水を注ぎます。前菜です。父親になるのはどんな気持ち? 親友に尋ねました。「実感はまだ…。出産に立ち会う予定が、裁判の日と重なっちゃって」スープを経て、ヒレ肉のステーキにナイフを当てます。「奥さんには感謝してる。これからたくさん愛情あげないと」肉の香りが口に広がりました。親友も奥さんもとても忙しいのに、安易な愚痴をこぼさない人です。大丈夫。赤ちゃんは芯のある子になる。
甘いケーキとプリンの後は、苦みの効いたコーヒーでした。甘い新婚生活を経て、現実に父になった親友。「おめでとう!」僕は万感の思いで祝いの品を彼に渡しました。隣の若い女性客達が勘違いして、嬉しそうに言いました。「ねっ、あの二人、やっぱりカップルだよ」
☆山口高弘 1981年市原生まれ。小学校4年秋から1年半、毎週、千葉日報紙上で父の随筆イラストを担当し、本紙では97年3月からイラストを掲載、06年から本連載を開始。「微笑ましい場面や声が聞こえてきそうな瞬間を、イラストやエッセイの中でお伝えしていければと思っております。今年もよろしくお願いいたします」