万木城から戦国の世を思う いすみの歴史と自然に触れる
- 2014/5/2
- 外房版
4月13日(日)、千葉県いすみ環境と文化のさと(ネイチャーセンター)主催の『万木城の歴史と里山の自然観察』が行われた。中心部には今も里山と田園風景が広がるいすみ市には、指定文化財が千葉県でいちばん多くあると聞きビックリ。
午前10時、ネイチャーセンターに集合した参加者12名は、まず数年前に発見されたいすみ市のみに自生する植物『イスミスズカケ』を目にすることに。植物の説明をしてくれる教育委員会学校教育課の岩田さんによると、絶滅危惧種のため自生している場所は非公開とのこと。挿し木で増やしたものがここネイチャーセンターと教育委員会のみで見られるのだそう。6月には可憐な紫色の花が咲くという。
そして一行は万木沼から遊歩道を進み『万木城』を目指す。途中、関東と西洋のタンポポの見分け方や、ヒガンマムシ草が茎や花がマムシに似ているところからその名が付いたことなどを聞き、皆「へぇ~」と感心しきり。湿性生態園では、山裾の水たまりの青いネットが目に留まる。センターの方の説明によると、『トウキョウサンショウウオ』の卵が野生のアライグマに荒らされないようネットで保護しているとのこと。ネットを少しめくり中を見ると、サンショウウオの幼生がもう元気に泳ぎ回っていた。タニシやドブガイが生息する水路に、「子どもの頃ここに来たら楽しそうだな」と参加者の方も大喜び。
ゆっくりゆっくりと春の芽吹きを感じながら遊歩道を進むと、現れたのは『桂林寺』。何の変哲もない家に見えるが、万木城の城主土岐為頼の奥方の菩提寺だ。教育委員会生涯学習課の嶺島さんから、「この辺りが万木城の城下町のはずれにあたる」地であり、近くに立つ地蔵菩薩立像(市指定有形文化財)は今から350年前、「江戸時代に作られたもので、地蔵が立つことから目の前の道が当時の主要道路だったことが推測される」との説明があった。
その後、すぐそばに建つ『妙見堂』を見学。土岐氏の守り本尊として城中心部に建立されたが、天正18年(1590)、万木城の落城後、万木の伊南宿へ移され、寛政4年(1792)に三光寺とともに現在の地に移った。堂内には妙見菩薩、飯縄権現、愛宕権現(飯縄・愛宕は市指定有形文化財)の三尊が祭られている。「三尊がまとめて祭られているのはとても珍しい」と嶺島さん。
そこから山へと続く少々きつい斜面を登っていく。登り切ったそこは『万木城跡公園』だ。天守閣をかたどった万木城展望台からは、西に田植えの始まった田んぼが広がる田園風景。晴れた日には富士山も望める。東には太平洋が広がる。だがここは、県内でも最大級の城域を誇る難攻不落の城があった場所。三方を夷隅川に囲まれ、敵の侵入を防ぐため巨大な堀や山肌を垂直に削った切岸が城を守った。嶺島さんによると、「ただ江戸時代の城のようにここで普段生活をしていたわけではなく、合戦のとき籠る場所だったようです」。城主の土岐氏については資料が少なく、謎の部分も多いそうだが、度重なる里見氏や正木氏の攻撃に、決して落城することはなかったそうだ。
そんな戦国の世に思いを馳せ、土岐氏の菩提寺『海雄寺』へと続く尾根道『小鳥の森遊歩道』を歩いていくと、ところどころに切岸や、やはり敵の侵入を防ぐため尾根の途中を深く掘った掘切の跡を見ることができる。『海雄寺』では、地元では『万木の寝釈迦様』と呼ばれ親しまれている『銅造釈迦涅槃像』(県指定有形文化財)が迎えてくれた。全長5.16m、顔だけでも0.95mの横たわったお釈迦様だ。江戸時代の正徳年間(1711~15)に近郊から寄付を集め、全身をいくつかに分けて造ったとみられ、その衣部分には寄進者の名前が刻まれている。遠くは東京の地名も読み取れるとか。残念ながら通常は寺のガラス越しにしか見ることはできないが、年に1度、5月3日の万木城まつりのとき開帳される。
そこからはサイクリング道を通って、午後3時、センター到着。サクサク歩けば2時間程度で回れるそうだ。参加者からは「楽しかった」、「知らなかったことを知れた」との声が。本当に身近に素晴らしい自然と歴史があることが知れた1日だった。
問合せ いすみ環境と文化のさと
TEL 0470・86・5251