タイムスリップ
- 2013/12/13
- 市原版
タイムスリップ
文と絵 山口高弘
名前を呼ばれてはっと目覚めました。ライトが眩しい。「終わりましたよ」女医さんの声の方を見ると、砕かれた歯が皿の上にある。僕の親知らずが抜かれていました。おお、手術が終わったのか。点滴で麻酔をして、椅子が倒され……分からない。起きたら終わっていた。痺れた口で「はひはほうほはいはひた」、頭を下げました。
病院の待合室では、30人ほどの患者さんたちがテレビを見て座っている。僕は記憶を辿りました。『大変な手術になるかも』なんて麻酔医に脅かされたんだっけ。まだまだ甘ちゃんです、という風貌の若い男の先生。でも腕は確かだった。計算された麻酔はまるで電源を切るみたいに僕の意識を消して、苦しむことなく手術後の世界にタイムスリップさせてくれたのです。
会計を待ちました。テレビではグルメ番組が放送されていて……グルメ番組! 出演者がキャンプ場で肉を焼いている。じぇじぇじぇ、何て映像だ。厚切りの肉が、じゅう、じゅうと火に焼かれて、焦げ目のついた野菜や形のいいキノコも、網の上で美味しそうな湯気を立てている。この何も食べられない状況で、世界で最も『食べたくなる』映像なんて。待合室の患者さんたちも凝視していました。ここは大学病院の口腔外科。肉や野菜を頬張って食べるのを、我慢している人の集まりです。
肉はミディアムレアに焼きあがっていく。肉汁が溢れます。食べるなら今でしょ!誰もチャンネルを変えようとしません。ごちそうさん!出演者が叫びました。僕は肉が憎くなって、「回復したら食欲で十倍返しだ」と誓います。手術跡を早く治さないと、厚切り肉のおもてなしを受けられない、ああ……回復後の世界にタイムスリップできたら……と思ったところで僕の名前が呼ばれて、慌てて立ちました。