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姿形が違っても、その命を想う人にとっては大切な家族
- 2016/5/6
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絵本作家 うささん
東金市在住のうささん(48)は演劇界で活動する傍ら、絵本作家として日々想いを絵に残している。「『うさ』という名前は、昔食事をしている姿がウサギに似ていることで付けられたあだ名です。演劇界も絵本の作者名もこれです。絵本を描き始めたのは2003年、初めて応募した絵本コンテストで大賞を受賞しデビューしました」と話す、うささんの出身は愛知県犬山市。高校を卒業後は名古屋市内の企業の実業団で、ハンドボール選手として活躍。
膝の故障が原因で引退すると、映画が好きだったという理由で東京へ。映画のオーディションを受け、所属事務所に入った。当時は俳優として出演する日々を送るも、心に浮かぶのは『後々に残るものを作りたい』という気持ち。そこで事務所を辞め、1991年自ら『劇団8つのみかん水』を立ち上げ、都内を中心に脚本・演出を含め活動を続けてきた。
その後、彼女に転機が訪れる。偶然、飼い主の引越しで置き去りにされた捨てウサギと出会ったのだ。家族のような存在で愛らしく、その子を見ていると絵本を作りたくなった。そして出来上がったのが前述の受賞作である絵本『ひとやすみ』である。
「忙しく心にゆとりのない毎日を送る人は多いです。マイペースに色んな場所でひとやすみする、うさぎの絵本を見て、少しでも笑ってもらえたらなという気持ちで描きました」と当時の気持ちを振り返る。それから出版された絵本は8冊。うささんの絵本はタイ・韓国・台湾などアジア諸国、欧米でも出版されて広く親しまれている。
そして、趣味のボディボードを楽しむため東金市に引っ越してきてすぐの2011年3月11日。東日本大震災の大津波が東北地方を中心に各地沿岸部を襲った。うささんは被災した宮城県沿岸部を訪れ、犬、猫、鳥、魚、カメ、ウサギ、数え切れないほどの命が津波の犠牲になった事実を知った。「避難所では、連れて逃げたペットを建物内には入れてもらえず津波にさらわれたり、寒さで凍え死んだりしました。
飼い主は、今も自分を責めているんですよ」。多くの人間が亡くなったことで、ペットの死を避難所で話すことはタブーだった。仮設住宅に入ってから初めて涙した人、君の家はペットが犠牲になっただけではないかと心ない言葉をかけられる人もいた。それぞれが自分の気持ちの殻を守ることで精いっぱいだったあの時。飼い主は、楽しかった思い出がすべて彼らとの別れの記憶に塗りかえられてしまった苦しみを、ただひっそりと胸に押し込めていた。「私たちが描く絵の力で役に立てれば、と思いました」と話す、うささんは、国内に留まらず海外の絵本作家や画家など約100人に声をかけて、犠牲になった動物たちを描き始めた。
その活動は『震災で消えた小さな命展』として国内外を巡回展示し、絵は飼い主にプレゼントするというもの。「亡くしたペットについて教えていただくため、手紙にまとめてもらいます。手紙にはペットとの出会いや、どれほどその子を愛していたか、そしてどうやって別れてしまったのかが書かれています。いただいた手紙を私が読んで、イメージに合った各作家さんに割り振っているんです」という。うささんらが手掛けたイラストはすでに約280点。
彼女は、「私たち作家が、何も知らずに偶然背景に描いた花が、実は流された自宅に咲いていた花や、亡くなったペットが大好きだったぬいぐるだった、ということもあります。飼い主しか知らない事が絵の中にあることが多いのです。僕たちは姿がみえなくてもそばにいるよ、と亡くなった子たちが伝えている気がしました」と話し、声に力を込めた。
飼い主に絵を渡すときは、喜んでもらえるだろうかと、いつもドキドキする。だが、「うちの子をこの作家さんに描いてもらえて良かった」と、絵を受け取った飼い主の笑顔を見た時に、ホッとする瞬間がある。
今年3月には今までの作品を複製し展示した絵画展『震災で消えた小さな命展』が大網白里市内で開催された。次回は5月横浜で開催予定。震災で亡くなったペットの実話を基にした絵本『ぼくは海になった』も発売中。詳細はうささんへ問合せを。
問合せ うささん
TEL 090-6506-3008