- Home
- 外房版, 市原版, シティライフ掲載記事
- 南太平洋の楽園の踊りと海が生きる喜び
南太平洋の楽園の踊りと海が生きる喜び
- 2017/2/24
- 外房版, 市原版, シティライフ掲載記事

タヒチアンダンサー 田部 さゆりさん
ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結ぶポリネシアントライアングルと呼ばれる島々のほぼ中央にあるフランス領ポリネシアのタヒチ島で伝えられてきたタヒチアンダンス。ハワイのフラの起源ともされるが、打楽器にあわせた早いビートの踊りもあるのがフラとの違い。海に囲まれた島で、神々へ捧げる祈り、伝承や仲間とコミュニケーション、戦いのためにと踊られてきた。
「海のある千葉から離れられません」と明るく話すのはタヒチアンダンスのインストラクター、市原市八幡宿在住のSAYURIこと田部さゆりさん(30)。タヒチアンダンスチームタヒートの一員としてお台場や船橋で開かれるフェスティバル、東京マラソンの応援パフォーマンス、NHKの番組『うたコン』やももいろクローバーZのコンサートなどにも出演経験がある。市原市内のイベントにも出演しているので、健康的な色気とキュートな踊りに魅せられた人もいるかもしれない。
「普段の生活でも海を感じていたいです」。サーフィンやボディボードを楽しみ、自宅のインテリアも自作の流木や貝殻アートなどで飾る。子どもの頃から海に入るのが好きでいつも日焼けで真っ黒だった。「母親を一番尊敬しています。沖縄から千葉に出稼ぎに出てきて結婚し苦労したそうですが、いつもギターと三線を弾いて聴かせてくれ、沖縄に帰ると必ず海に連れて行ってくれました」と自分の原点を語る。困難に出会ったとき、田部さんを救ってくれたのは「辛いときこそ笑顔でいなさい。好きなことが一つでもあれば生きる楽しみを見つけられる」という母親の教え。
市原市光風台で育ち、県立市原高校を卒業し文化服装学院に進学した。ファッショナブルな同級生に囲まれていたが、田部さんが好んだのは海や植物などのナチュラルなテイスト。卒業後は都内のハワイアンショップに就職。衣装、生地、雑貨のデザインから商品のモデルまでこなした。「陽気なスタッフやお客さまが多い店でした」。年に2回ほど撮影や市場調査のためハワイへ行くことも。衣装やデザインの勉強になればとはじめたのがタヒチアンダンスだった。
習うと「楽しすぎて、あっこれだと思いました」と情熱的なタヒチアンダンスに夢中になった。仕事と並行して続け、8年目にダンス教室を主宰する講師LISAさんからインストラクターになるように勧められた。「環境も変わるし、自分に指導なんて出来るのかと、あんなに悩んだことはありませんでした。元気だけが取り柄。毎日全力で生きていて、明日のことを考えたことがなかったので」と笑う。
タヒチアンダンスは背筋や腹筋が鍛えられ、しなやかな女性らしい筋肉が付き、自然を尊び、人間愛を表現することから感受性豊かな心も持てる。「生徒と共に自分を成長させることができ、私にも誰かに伝えられることがあるかもしれない」と勇気を出して飛び込んだ。衣装はココナッツブラやモレに象徴される貝や木の皮など自然素材が中心。手作りすることが多いが、重いものもある。ショーでは2分から3分の間に着替え、10曲近く踊ることもあるから体力も必要。普段から食事や健康に気を使い、トレーニングを欠かさない。体はスリムでも「大食いです」。昨年、はじめて自分が考えた振り付けで生徒を発表会の舞台に送り出した。終了すると舞台袖で「ここまで踊れるようになってくれたと感動しました」
田部さんが放つ太陽の輝きのような明るさとかわいらしさに周りが手を差し伸べずにはいられないのだろうと想像させるが、「今まで人に恵まれてきました」と講師、友人や同僚に感謝する。「自分の思った通りに生きたい」と自由を求める言葉のあとにも「相手への思いやり持ちながら」と優しさを加える。インタビュー中も記者に衣装の好みを聞いてくるなど相手を楽しませようとする気遣いが伝わってきた。
海は天気や風、潮回りによって毎日表情が違う。「海に入るたび、驚かされたり、嬉しかったり、開放されたり、夢中になれます。私も海のように観客が何かを感じてくれるように踊りたい。多くの人にタヒチアンダンスの楽しさ素晴らしさを伝えていきたいです」
問合せ タヒート
TEL 03・6427・9148