【いすみ市】写真より正確な、心温まる「細密画」の数々 いすみ市郷土資料館で『浅井粂男絵画展』

 ふらりと入ってきた男性が、食い入るように海の生物たちの絵画を眺めて歩き、呟いた。「水族館に来たみたいだ」。田園の美術館(いすみ市郷土資料館)において、7月15日まで開催されている『浅井粂男絵画展』でのひとこまである。 茂原市在住の浅井粂男さん(81)は、細密画を専門とする画家。細密画とは文字通り細部まで緻密に描いた絵画で、写真と見紛うものさえある。浅井さんは細密画のなかでも特に房総の里山や海などの自然を描いており、絵画展のテーマも『湧き上がる生命の賛歌~人の暮らしに寄り添いながら生きてきた生き物と自然景観』。優しいまなざしで生き物を描いたその温かな絵画は見る者の心を捉え、「是非、画伯と直接お会いしたい」と浅井さんの訪れる日時に合わせて再来館する人をはじめ、リピート入館者は少なくない。

 愛知県豊田市出身。磁器絵付けの技術を用い、ガラスの色付けで収入を得ながら武蔵野美大を卒業後、体をこわし、イラストレーターだった義父(妻の父)の勧めで本格的に絵を描くようになった。当時の住まいは東京の中野坂上。交通量が激しい土地で、小学1年生のひとり息子が小児喘息と診断されたことから鴨川市に転居(その甲斐あって3、4年で小児喘息は完治に至る)、鴨川市で20年暮らした後、東京へのアクセス等を考慮して土気(千葉市)に移り、20数年前、現在の茂原に居を構えた。
 幼い頃から動植物好きで、ダイビングを趣味にしていた浅井さんが房総の海や山に囲まれておよそ半世紀。この間、千葉県立中央博物館の中村副館長から『里やま自然誌』(中村俊彦著/マルモ出版)のイラストを依頼されたことをきっかけに、身近な生き物や風景により興味を持つことになったという。田園の美術館に展示されているのは約60点。掲載された図鑑や絵本と原画を併せて見せるコーナーもあり、印刷物との色調の違いを比べられるのも楽しい。

全部描く、それが尊い


   福音館書店、学研、岩崎書店、旺文社、フレーベル館、大日本図書、教育図書などなど。浅井さんの手による作品をおさめた図鑑や絵本、そして教科書は、各社から数多く刊行されており、「浅井さんの絵で勉強しました、とよく言われるんですよ」と、はにかんだ笑顔を見せる。「写真を用いた図鑑も多いけれど、絵描きのイラストの方がわかりやすいはず」と浅井さんは言う。それは、「一度、人間の目を通して、特徴を捉え絵にしているから」。そして、「見えない部分でも生き物の体の構造を知っていれば描くことができる」。だから、ある意味、写真よりも正確なのだ。

 例えば、測線(魚の体の側面にあり、水圧や水流の変化を感じ取る感覚器官)上のウロコの数は魚によって決まっている。鯉なら33~38で、絵を描く際は側面に線を引いてその数を割り振るという具合。ウロコの数の方程式も存在し、まさに生物学に基づいて作品が生み出される。「背びれの棘、筋の数も魚によってそれぞれ規則があります。それらの数が違えば、異なる種となる。つまり、ある一定の規則の遺伝形式を持ったものが生き延びてきたわけです。人類誕生のはるか前からのそのDNAには価値があり、よって、美しい。私の画家としての使命は、ありのままを全部描くことだと考えています。それが尊いと思うから」
 ベースの生物学に加え、写真や実物もとことん観察する。猛毒を持つヘビ・ヤマカガシの写実時には、夫婦で山に捕獲に行き、ガラス瓶に生け捕りして持ち帰ったし、植物であれば葉の葉脈、毛の1本までも、老眼鏡とルーペを使って細筆の毛先3本(違う長さにカット)などを用いて丁寧に描きあげていく。今回の展覧会のために描き上げた「イスミスズカケ」(2009年にいすみ市で発見され、2013年に新種と判明した種子植物)もそうして完成したものである。

 なお、浅井さん夫婦は今年10月、息子の住む岐阜県下呂市に移住予定。「房総での最後にここで展覧会をさせていただき、本当にありがたい」と田園の美術館にイスミミズカケの絵の寄贈を申し出る意向で、さらに新天地においては、「地方は町おこしに力を入れています。歳をとると厄介者になりがちなので、少しでもお役に立てるよう移住先でも細密画教室を開いて皆さんに絵を教えたり、絵を見ていただくことができればうれしい」と語る。今、コンピュータグラフィックスで様々な絵を生み出せる時代となり、細かな計算と地味な作業の連続の細密画を専門にしようとする若者は稀有。しかし、CGのグラデーションは均一で、実物とは別物だ。絵に感嘆した来館者の「水族館に来たみたいだ」という呟きは、浅井さんの手が絵画に命をふきこんでこそ発せられたものである。
問合せ: 田園の美術館
TEL.0470・86・3708
※入館無料/(月)休館、(祝)開館/9時~16時30分

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