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貴重な経験、ロマンも学びも、映画からもらった ~黛葉さん~【茂原市】
- 2022/10/13
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- 茂原市
茂原市に住む黛葉(まゆずみ よう・ペンネーム)さん、80歳。子どもの頃から趣味が映画鑑賞という、元映画配給会社の宣伝プロデューサーだ。愛猫家でもあり、飼っていた2匹の猫、マミ&モモのエピソードを抜粋した体験記と、モモが主役の冒険小説を収録した本『虹の彼方に旅立ったマミ&モモ 感動のファンタジーワールド』を、今年出版した。次回作も構想中という黛さんに、初めて執筆した小説づくりに多くの影響をもらったという映画の世界の話を聞いた。
試写鑑賞は年200本
黛さんは東京都杉並区出身。子どもの頃は都電が走る地域だったという。「初めて見た映画は、日本の喜劇王と呼ばれた榎本健一さん主演『らくだの馬さん』。その後はジャンル問わず見ていて、一番映画館に通ったのは学生時代。当時の新宿には、昭和40年代に閉鎖した帝都座や名画座があって、1回30円で鑑賞できました。なので、気に入った作品は1週間に5回行き、時には1日入り浸ったり、最後の上映時間には、係の人が顔パスで入れてくれたこともありましたね」と話す。
昭和35年に映画配給会社へ就職。映画関連しか考えずにこの業界に飛び込んだという。「まずは興行企画を担当し、どの映画を上映するのか計画するので、試写を主に年間200本以上は見てました。他には特別上映です。昭和40年代に新宿で、黒澤明監督の作品を48時間連続上映するフェスタを開催し、東宝に8作品、貸し出してもらいました」。今は映画館の企画上映は普通にあるが、当時はそうした映画館がなかったため、とても話題になったそうだ。
その後、外資系配給会社UIPで宣伝プロデューサーになった黛さん。イギリスとアメリカに拠点があり、双方の国から来る映画の日本公開に携わった。「今のようなパソコンやメールがない時代、書類は英文をタイプライターで打って、本部に送るんです。この時は社会的テーマを取り扱った映画を主に担当したので、宣伝方法が難しく、毎回頭をひねりましたし、勉強もしました」
日本の外交にも関わった試写会
手がけた多くの映画宣伝のなかで、黛さんが「特に貴重な体験」と語るのは、1988年(昭和63年)に日本で公開されたイギリス映画『遠い夜明け』。1970年代の南アフリカ共和国(以下南アフリカ)で、白人以外の人種を差別隔離する政策・アパルトヘイト下の実話がもとになった作品だ。監督は『ガンジー』で知られるイギリスの巨匠、リチャード・アッテンボロー。黒人解放運動の指導者に共鳴した白人の新聞記者が、指導者の獄中死を目の当たりにし、アパルトヘイトの実態を世界に知らせようと、イギリスに必死の亡命をする物語である。
その頃の国際社会は南アフリカのアパルトヘイトを非難し、経済制裁をしていた。日本は南アフリカとの貿易が盛んだったため、欧米やアフリカ諸国、国連から批判されるような立場だった。「ですが、日本では遠い南アフリカの問題を知っている人も少ない。私もその時まで、アパルトヘイトという言葉すらよく知りませんでした」。黛さんは、試写会を行うにあたって、外務省のアフリカ担当課に声をかけた。当時、第二課長だった外交官・天木直人さんが来場し、映画を見た後、黛さんと「多くの日本の人に南アフリカとアパルトヘイト問題を知ってもらうため、できるだけ多く試写会を開こう」と協力し合うことになったという。
「国会議員や外務大臣、駐在するアフリカ諸国大使を招いたり、アッテンボロー監督の来日時には、当時の浩宮殿下(現天皇陛下)にも来ていただけないかと、皇居に4回ほど足を運んだり。映画の資料を殿下の侍従長に手渡しましたが、実現するなんて思いませんでした。試写会に来場された殿下からお言葉を頂きましたが、とても緊張していて、どうご挨拶したのか、よく覚えてないんです。1分もない時間がすごく長く感じたことだけ記憶しています」。これら試写会の経緯などは、天木さんの著書『マンデラの南ア』(サイマル出版会発行)にもあり、黛さんのことも記述されている。
黛さんが茂原に新築の家を建て、引っ越してきたのは28年前。その時に映画の古いビデオテープは破棄し、現在は衛星放送などテレビ放映される映画を録画、コレクションしている。すでにDVDは928枚、ブルーレイは227枚を数える。「映画は様々なロマンが詰まっています。実話がもとであれ、虚構であれ、映像表現にはリアリティーが必要で、それを実現する制作側スタッフの労力は大変なもの。それが人を楽しませ、心を打つ。そこに仕事で関われて、とても幸せでしたね。しかも浩宮殿下にもお会いできた。私の映画人生の中で一番の栄誉。ですので、祝日には日本の国旗を家に揚げてます」。茂原で飼った2匹目の猫・モモが亡くなったのは令和2年。モモを主役に小説が書けたのも、「映画のおかげで、物語のアイデアが浮かんだのだろうと思っています」と笑顔で黛さんは話した。