デフリンピックを広めたい
- 2013/7/19
- 市原版
デフリンピックを広めたい
砂浜の練習が私を強くしてくれた
元デフビーチバレー選手 會本 聡子さん
健康的に日に焼けた肌を持ち、はにかむような笑顔を浮かべるのは會本聡子さん(30)。2012年トルコで開催された第1回デフビーチバレーボール世界選手権で9位タイとなり、昨年市原市表彰を受けた。デフバレーとはデフ(聴覚障がい者)によるバレーのことで、デフリンピックとは4年に1度、世界規模で行われる聴覚障がい者のための国際総合競技大会のことである。
「室内で6人制のチームで行うバレーボールを始めたのは中学生の頃。大学を卒業して社会人になってもバレーを続けていた私は、チームメイトからビーチバレーをやってみないかと誘われた。ビーチバレーは砂浜で、ペアで対戦するバレー。本当に軽い気持ちで始めた」と會本さんは手話で話しながら、過去を手繰るように首を傾げる。
自らの性格を『マイペースだけど猪突猛進タイプ』と分析する通り、生まれつき耳が不自由だったが、ビーチバレーへの真っ直ぐな想いが確固たる結果を作り上げた。「練習は毎週土日にビーチで行う。熱海で合宿したり、神奈川県の鵠沼海岸に行ったり。海辺は風があって運動しても気持ちがいい」という。照りつける太陽の下、ボールを追って手を伸ばす。夏は暑さに必死で水分補給をし、冬は帽子やネックウォーマーで防寒対策をする。寒い時こそ、自分の苦手な部分を磨くことに集中した。
だが、土日の練習は遠征が多く、仕事と両立することはとても大変だった。体調管理を怠るとどちらにも支障をきたす。それでも続けられたのはなぜか。「最初は負けたくない気持ちと、認められたい想いが半々だった。相手が求めていることが分かるのに動けなくて悔しかった。ペアでコミュニケーションをとり、納得のプレーができるまで繰り返した」と話し、會本さんはデフリンピックで得た賞状を手に笑顔を向ける。日本デフバレーボール協会が主催する2008年第1回デフビーチバレーボールカップで優勝、翌年の第2回では2位という好成績を納めている。
そして、「私の欠点は自分に甘く、6人制のバレーではみんなでやるため人任せにしてしまうこともあった。でも、ビーチバレーで精神面がとても強くなった。選手交代なく2人で全部やる。しんどいけど楽しいもの。それに、インドアとビーチ両方の良い所が分かり視野が広がったし、色んな人に出会えたことが嬉しい」と続ける。
現在はペアを解消しスタッフとして動いている會本さんだが、「ペアでもまた挑戦したいし、デフリンピックを広めたい。現在、聴覚障がい者は健常者に混じってプレーすることが多いので、デフだけのチームも作りたい」とやりたいことは盛りだくさんだ。明るい笑顔とビーチバレーへの強い想いを胸に、マイペースに歩んでいって欲しい。