紅絵の壷

遠山あき

 第九代名匠『柿右衛門』の作品がテレビに出ていて、私は釘付けになった。輝くような見事な赤絵の壷であった。その時、感動と共に私の記憶は八十年前に飛び帰った。
 女子師範学校(現千葉大教育学部)卒業の時である。「学年の役員だった思い出に何か記念の物を残したいわね」という話になった。役員は三名。「何がいいかしら」なかなか思いつかない。その時、普段は無口な岡部さんが「土肥刀泉先生の紅絵の壷にしましょう」ときっぱりと言った。田舎者の私だが土肥先生が当時、赤絵の焼物では指折りの名工なのは知っていた。果たして学生でしかない私らの願いをやすやすと引き受けてくださるだろうか。彼女は「話してみます」とのこと。
 七日ほどたち、不安をよそに先生は「時間がかかりますが引き受けましょう」とのお返事だった。本当だろうかと半信半疑のうちに、それぞれ卒業して別々の任地に散った。五月のある日、「赤絵の壷ができたのでお集まりください」と岡部さんから電話があった。信じられないような事実だった。期待と不安で学校の同窓会館に集まった。紫の風呂敷に包まれた桐箱が三個。私たちは緊張して箱を見つめた。
「同じ窯で焼いても、必ずしも望んだ色が出るとは限らないのだそうです。心を込めて焼いてくださったこの壷、すべて紅絵かどうか分かりません。焼物も生きているのです」。さもありなん。まして名匠であれば…。それぞれが眼を瞑って箱をいただいた。震える手で箱を開く。白布を広げる。一様に嘆声が漏れた。
 私は紅、岡部さんは…紫、会長の巻口さんは紅。思わず合掌して壷を見つめた。微妙な曲線の取っ手がついた二十センチほどの花瓶であった。岡部さんは紫の壷を抱きしめていた。それは曙の光を秘めて沈潜した紫だった。私の紅と巻口さんの紅は微妙に色が違う。それぞれ壷を抱いて感動に吾を忘れた。
 それから数年後、壷は千葉市の実家へ預けたまま私は農家へ嫁いだ。千葉市の空襲で我が家は焼けた。壷は業火の中でもとの土に還った。戦後間もなく土肥先生は亡くなり、愛娘の『紅繪』さまは赤絵は焼かない。幻想的な万葉の雅な女人像を焼かれる、著名な女流陶芸家である。

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