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今こそ必要なブッダの教え~「気づき」は最も尊い人間の知性
- 2016/7/29
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宝林寺住職 千葉 公慈(こうじ)さん
「仏教とは本来、死者を弔い供養するためのものではなく、この世に生きる人が心身ともに、より健やかな人生を送るためのお釈迦様の智慧なのです」とニコニコした表情で語るのは市原市朝生原にある宝林寺(曹洞宗)住職の千葉公慈さん(52)。駒沢女子大学で教授を務めるほか、テレビ朝日系の番組『ぶっちゃけ寺』にも出演中。
インドで生まれ中国に渡り、飛鳥時代に日本へ入ってきたとされる仏教。様々な宗派があるが、千葉さんが注目するのは発端であるコータマ・ブッダの教え。ブッダは、約2500年前にインドの小国の王子として生まれた。釈迦族だったので「お釈迦様」と呼ばれることもある。当時のインドは戦乱の世。ブッダの国も大国の脅威に脅かされていた。「なぜ人は争い、苦しむのか」そんな思いを胸に城を飛び出し理想と現実の矛盾について考えるようになる。「どうすれば人は苦しみを乗り越えられるのだろう」菩提樹の下で座禅を組み、たどり着いた「悟り」を人々に説くようになった。これが仏教の始まりだ。
ブッダの言葉を弟子たちがまとめたものが経典だが、中国に渡り翻訳される際に漢字へと変換された。「人生をいい方向に導くための素晴らしい言葉が、難しい経典になってしまっていることは残念。宗教としてではなく、人々の生活に役立つ道標として、哲学として、わかりやすい言葉で広めていきたい」と話す。
漢字に翻訳され、意味が変わってしまったものも多い。例えば「一切行苦」という言葉。「この世は苦しみばかり」という意味にとられるが、本来、「苦」は「思い通りにならないこと」という意味。それは悪い出来事ばかりを指すのではなく「思いがけず舞い込んできた幸せ」なども含む。また、「煩悩を滅する」というと「煩悩を消さなくては」と考えてしまうが「滅」はコントロールするという意味。つまり、煩悩や欲は消さなくても自分で調整すればいいのだ。「欲そのものが悪いというわけではありません。進歩するためには欲も必要ですよね」と千葉さん。
千葉さんの好きなブッダの言葉がある。「戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である」自己に問いかけてみると、不安や迷いは自分の内から生じている。それに気づき、どうしたらよいかを考え行動を起こせば不安を取り除くことができる。「自己の心をととのえ、己に打ち克ってはじめて自己の信念を堂々と語ることができるのです」
幼少の頃から見よう見まねで寺の手伝いをしてきた千葉さんが、僧侶の仕事を前向きに考え始めたのは中学生の頃。父親が取り仕切った法事に涙を流しながら感謝の言葉を述べた女性がいた。僧侶として尊敬できる父が千葉さんの目に映った。そして大学生時代に遭遇した、巣鴨は高岩寺の先代住職、来馬規雄さんが多くの聴衆を前に説法する姿。「話を聴くだけでみんな元気になるのです。来馬老師のすがすがしい生き方に感銘を受け、僧侶にならなければ、と思うようになりました」と振り返る。
ところで、曹洞宗は禅宗。修行として座禅を組む。鼻とヘソを一直線に、耳と肩の位置をそろえた姿勢で呼吸を整え、目は斜め45度下を見る。千葉さんの座禅の始まりは「伊勢うどんが食べたい」など煩悩だらけだという。「あえて煩悩を払いのけようとはしない。むしろ放任するのです。するといつの間にか消えてなくなっています」と穏やかに話す。座禅を繰り返していると、客観的に自分を見ることができるようになり、また、よい姿勢と整えた呼吸は身体にもよい影響をもたらす。「手軽にできる最高の健康法ですよ」と微笑む。
蛇口をひねれば、いや、水道口に手をかざせば自動で水が出てくる豊かな時代。だが、増える個家族や原発問題、自然災害に世界各地で起こっている民族紛争など考えるべきことはたくさんある。「インターネット上の誰かの発言にツイートするのもいいが、一歩踏み込んで自分はどう思うのか、主体となって考え、行動を起こしてみることが大事。今こそ、苦境に立たされていた生身の人間、ブッダの言葉を広く伝えるべきだと感じています」
千葉さんが著した『心の花を咲かせる言葉(双葉社)』、『仏教から生まれた意外な日本語(河出書房新社)』、萩本欽一さんとの共著『運がよくなる仏教の教え(集英社)』にはブッダの教えや普段何気なく使っている日常語のルーツがわかりやすい言葉で書かれている。気づき、考えれば、新しい何かを見出すことができるかもしれない。悩みを抱えている人にこそ、おすすめだ。