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バルーンアートで、ひとを笑顔にしたい がんで亡くなった妻がおしえてくれたこと
- 2019/1/11
- 市原版, シティライフ掲載記事
畑中太郎さん
「パフォーマン タロウ」こと、畑中太郎さん(42)が子どもたちの前に登場すると、皆、瞳を輝かせて彼の一挙一動を見つめ、歌やセリフに聴き入る。畑中さんの手により風船が花になり動物になりキャラクターになると、子どもたちは歓声を上げ笑顔が弾ける。
アウトレットパークやショッピングセンター、道の駅や納涼祭など地域のイベントでパフォーマンスショーに出演したり、保育園や住宅展示場などでバルーングリーティング(風船プレゼント)を、アートギャラリーやホームパーティなどで会場をバルーン装飾したりとバルーンをメインに水晶玉やシャボン玉を組み合わせたパフォーマンスを披露している畑中さん。
ショーで身に着けるのは、海賊のコスチューム。「ディズニーランドが大好きだった妻と最後に行ったとき、ハロウィンで海賊姿だったから」と話す。
「私は袖ケ浦市で生まれ育ちましたが、2歳年上だった妻と知り合い、市原市に移り住みました。その後、木更津市に家を建てました。残念ながら妻は4年くらいしか住むことはできませんでしたが…」。子どもはいなかったが、ふたりで歩む人生は幸せそのものだった。「綺麗な人だと、一目惚れだった」という奥様の寧子さんは、底抜けに明るくポジティブで、常に畑中さんの味方でいてくれ励ましてくれた。「とても愛情深く見返りを求めないひとだった」とも。仲睦まじく、毎日他愛のないお喋りが楽しかったという。
しかし、お酒が大好きだった寧子さんの酒癖が悪くなり、何度となく話し合ったが、一向に改善されず、もう我慢の限界だと離婚話を始めた矢先の2013年4月、寧子さんは子宮頸がんを告知される。末期がんだった。
「皮肉でしたね。自分の気持ちが妻から離れたタイミングに妻のがんを告知されるなんて。何故、自分はこんなめにあわなくてはいけないんだとも思った。だけど、妻に最期まで一緒にいてほしいと言われ、別れることは思いとどまり、妻の看病をしようと決めました。だから最初は仕方なくでしたが、やはり自分は妻を見捨てることなんてできない、愛していたんだと思えるようになった頃には、妻は病気が進行し脳腫瘍になり、もう私の言葉は理解できなくなっていた。もっと早くに妻に自分のそうした気持ちを伝えられたらと、ずっと後悔の念に苛まれていました」
そして1年半後の2014年12月、奇しくも寧子さんの41歳の誕生日に逝去した。一緒に暮らして12年、結婚して8年だった。
当時、関東圏を移動販売車でカステラを販売する仕事に就いていた畑中さん。「彼女がこの世にいない悲しみ、喪失感に押し潰されそうになった。そして彼女はいなくても世の中は変わらず過ぎてゆき、自分は何のために頑張って働いているんだ?彼女の分まで頑張って生きて、なんて言われるのは苦しいだけだった」と振り返る。このままでは自分は壊れてしまう。そう感じたとき、この空虚な気持ちを忘れさせてくれるような夢中になれるものを探そうと決めた。
そうして見つけたのがジャグリング。イベント会場で体験してみたら集中できるのがいいと思った。元来、人前に出るのは苦手な性分だったが、それを忘れるほど夢中になれた。一方、奥様はモデルやバンド経験もある、すべてにおいて物怖じしないタイプだった。そんな妻に後押しされているような気もした。他のパフォーマンスにも興味を抱き、仕事の傍ら専門のスクールに通った。その後、バルーンの世界に飛び込んだ。
悲しみを乗り越えて
「現実逃避の手段として始めたパフォーマンスだったけど、自分のショーや手がけた装飾で、見た人が笑顔になるのが嬉しかった。もっと、もっと多くの人に笑顔になってもらえたらと思うようになった。それは妻が私におしえてくれた、導いてくれた世界なんだと確信しました。妻の死により、当たり前のように過ごしていた日常生活、『おはよう』や『ただいま』とか言葉を交わせる家族がいること。その有り難さと幸せを失って初めて思い知らされました。また、妻は闘病生活中、自分の経験が患者やその家族に役立てられたらいいと言っていたので、彼女の代わりにブログ『妻が子宮頸がんになって』を書き、その反響を彼女に伝えると喜んでいました」
後日、がん情報サイトに『子宮頸がん体験者の夫』として体験談も発表。昨年10月には、がん患者やその家族を応援するチャリティーイベント『リレー・フォー・ライフ・ジャパン2018東京上野』でステージ出演も果たした。今後もこうした活動に参加するつもりだ。「妻は、がん検診を受けていなかった。子宮頸がんは早期なら治る確率は高いといいます。皆さんも、がん検診を受けてください!」と畑中さん。
現在は、撮影の仕事や地元の養鶏場で働きながら、パフォーマンスの仕事をしている。今後の目標は、「妻の、誰かの役に立ちたいという思いを受け継ぐこと。みんながその時だけでも、ほっこりした気持ちになれるようなパフォーマンスをしていきたい」と語った。
問合せ performantarou@yahoo.co.jp
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