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【市原市】赤ん坊のように、陶器も空気を吸って成長するんだ 陶芸家 鵜澤綱夫さん
- 2019/3/28
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大網白里市出身で市原市在住の鵜澤綱夫さんは3月30日(土)からの1週間、自宅敷地内にあるギャラリー『壺中庵』にて個展を開催する。飾られた作品は茶碗やオブジェ、花器、土鍋など多岐に渡る。ケースに入った数々の壺の大きさは荘厳だが、テーブルに置かれた器やとっくりは繊細な仕上がり。ギャラリー入口すぐの和室にある茶器はどこか澄ましているように見えるから不思議だ。作品総数は優に100を超えており、見どころも充実している。
鵜澤さんが陶芸を始めたのは今から43年前のこと。「当時、市原市役所勤務の私は四街道市の自宅から通勤していました。第2子となる長男が生まれ、妻が仕事を退職し、私自身も仕事の忙しさに日々追われる中、陶芸に出会いました」。職場の同僚が市原市鶴舞の陶芸教室に通っていたことをきっかけに自身も入会。土を創造する楽しさに目覚め、毎日の仕事帰りに教室に行くようになった。「朝7時に家を出て、毎晩夜中に帰っていました。当時6人くらいいた仲間の中で、今でも陶芸を続けているのは私だけになりました。一番センスがなくて下手だったんですけど、それが長続きの巧名になったのでしょうね」と、鵜澤さんはユーモアを交えて話す。陶芸を始める前にも、何か趣味を見つけようと色々試していたという。学生時代に組んだバンドを思い出し、職場で仲間を募ろうかとも思ったが、人数が多いと日程を調整するのも一苦労だ。思いきり一人で打ち込める陶芸は最適な趣味で、その勢いはどんどん増していった。
1982年、現在の自宅兼ギャラリーのある市原市に居を移すと灯油窯を築いた。次第に制作する量も増え、電気窯を購入。そして2007年、知り合いに頼んでついに穴窯を造る。そこは器が電気窯の数倍入るという広さ。大量に積まれた薪を使い、80時間かけて焼き上げる窯焼きを続けてきた。「大体、春に作品を制作し始めて、10月薪窯を焚く。秋に個展を開いて、冬は薪割りや充電で陶芸はお休みをするんです。近年は春に自宅で個展を開くので、裏の山桜の大樹が綺麗に咲き誇っている姿も見ていただけます。ぜひ、遊びにいらしてください」と、鵜澤さん。そして奥さんも、「窯出しの日、窯を開けると器が奏でる、澄んだ微かな音を聴くのが好きですね。空気が入って中が急に冷え、器に小さなヒビが入ることによる音らしいんですけど心地良いんです」と笑顔を見せる。
長い陶芸生活の中で辞めたいと思ったことはない。だが、自ら選んだ土や釉薬で納得のいく作品をつくる為、誰にも見えないところで人一倍の努力を続けてきたことも事実だ。「信州大学時代は農芸化学を学び、市役所勤務では公害課で植物公害を担当しました。おかげで薬品に強く、初めは釉薬にも凝って色々試しましたが、考えすぎることこそ失敗のもとでした。石や粘土を材料にする陶芸はおおざっぱで作るからこそいい。だからこそ1つしかない作品ができるんです」というのが、鵜澤さんが辿りついた答えだ。
広がっていく仲間の輪
自宅ギャラリーの他、鵜澤さんは多くの場所で個展を開催してきた。市原市内の『ギャラリー風の舎』や『京葉画廊』、千葉市内の『スペースガレリア』など。千葉県のみならず都内の六本木や銀座、丸の内や恵比寿。そして大学時代に過ごした長野県松本市で10年間に及び個展を開いており、来場者とできる輪も大切にしている。「秋田県から来た夫妻に松本市内を案内したんです。それがきっかけで、私の家族が彼らに会いに秋田県へ旅行に行く機会もできた」のだとか。
自身の個展を開催するだけでなく、陶芸を学ぶために様々な展示会にも足を運んだ。その結果、陶芸財団展や抹茶茶碗コンテスト、県展や市展で何度も入賞を果たすことができた。「自分が重ねてきた色んな経験が、作品やタイトルにインスピレーションを与えていると思います。より情緒を表現できるように、書物や音楽から学んだりするのも楽しかったです。今後も可能な限り、薪窯と展示会を続けていきたいですね」と、鵜澤さんは最後まで明るく話した。
展示会は4月7日(日)まで。開催時間は午前11時から午後17時。入場無料。詳細は問合せを。
問合せ:鵜澤さん
TEL.090・2768・1286
市原市中高根32の1