音楽は生きる源!
- 2013/7/19
- 市原版
音楽は生きる源!
~歌とピアノで元気パワーを伝えたい~
ピアノ・歌講師 両角 八重子さん
「音楽は、私の人生の一番大事な友達です」と笑顔で語る両角八重子さん(70)は、現在市内公民館やYOUホール等で歌やピアノを教えている。戦争のさなかに鹿児島で生まれ、その後長野へ移住し25歳まで住んでいた。高校教師の父親が歌好きだった影響をうけ歌を口ずさむことは自然なことだった。よく電車の中で兄妹と歌っていたら周りの人に叱れたりすることもしばしだったという。
「父が宿直の時に、兄妹で遊びに行って体育館にあったピアノを使わせてもらった。ピアノは高価で自宅にはなかったのでとても嬉しかった」と語る。小学2年の時には、担任が学校でピアノを教えてくれた。指導のおかげもあって、小学高学年の頃から農繁期(春・秋)の臨時保育所に保母として子どもたちと一緒に歌やお遊戯などをして楽しく過ごした。「女性は学歴よりも早くお嫁に行きなさい」と言われていた時代。だが勉強好きで、もっといろんなことを勉強したいという思いが強く両親に反発していた時期もあったという。
高校を卒業する前に、父親がガンで他界。母親に「母ちゃん、私働いて自分のお金で勉強や音楽を続けていくから心配しなくていいよ」と自分の強い決意を伝えた。そして卒業後、すぐに就職。コツコツとお金を貯めて、夢であった自分のピアノを初めて購入。会社近くにあったピアノ教室に通い本格的にピアノを習い始めた。「長年の夢でしたから本当に嬉しかった。ここまで来るのに苦労とは思わなかった。やりたい事と夢があったからこそ頑張れた」
会社ではコーラス部に所属し、パーティなどで歌やピアノを披露した。同時に哲学を学びたくて慶應義塾大学通信教育課程に入学。会社の協力もあり約5年9カ月かかったが無事卒業した。その後、京都の佛教大学通信教育課程で1年間幼児教育と心理学を学んだ。結婚後も、引越先ごとにピアノ講師に教わった。だが経済的に苦しい時期もあった。そんな時、たまたま見つけた保母募集の広告に目が止まり、まずは保母資格を取ろうと参考書2冊を買いこんだ。試験ではピアノの実技試験もあり無事合格。好きで続けてきた歌とピアノに助けられた。
好きな言葉は『常に前向き』、『患難(かんなん)、辛苦(しんく)を我に与えたまえ』。自分に自信がない頃は舞台で大勢の前で歌うことに抵抗があったが、歌唱力やピアノの腕を磨くには人前で発表する機会を増やすことだと思い、歌える場所には率先して出向き、人から声をかけられれば行って自分磨きを続けた。今ある自信は、小さい時から積み重ねてきた経験が生きている。
「まさか当時は、人に教えたり、好きなことがお金になるとは考えてもみなかった。ただ大好きなピアノと歌を一生懸命に練習し続けてきただけだから。これからも勉強を続けていれば80歳になったらもっとうまくなっているかも?」と意欲的だ。公民館では、童謡、フォークソングなどジャンルは問わず教えている。教えるということは自分も勉強するということ。時間内に歌うだけではなく笑いヨガや得意のトークを取り入れるなどして楽しませる工夫も忘れない。またボランティア活動で施設などでも歌っている。特に家にこもりがちな高齢者を歌う場所に気軽に参加できるようにしたいという。「私と一緒に過ごす時間が、皆さんにとって大事なものになって欲しい」と両角さん。
18歳から誰の援助も受けずに歌とピアノを続けながら、自分が学びたい英語や声楽等や資格を取るために勉強し続けてきた。自分の子どもたちには学びたい時に好きなだけ学んで欲しいと願い、息子のプロジャズピアニスト両角ヒロさんにも「勉強をしたかったら援助するよ」と言い続けた。
現在は『市原にジャズを広めよう事務局』を立ち上げ、息子の帰国コンサートの手伝いやゲストとして自分も参加し親子での共演を楽しんでいる。「同じ舞台に立ち、息子の伴奏で歌うのが夢でした」と嬉しそうに微笑む両角さん。今年もヒロさんを中心としたコンサートが8月に市原市内3カ所で行われる。「人生常に勉強と思い続けていれば良いことがある。これからもレベルアップをしながら、いろんな場所で楽しく歌い続けていきたいです」と笑顔で語った。