不二の青い春
- 2014/1/24
- 市原版
文と絵 山口 高弘
養老川に架かる橋を歩いていました。ひこうき雲が西にのびて、工場の煙突並ぶ地平線に夕陽が沈んでいくところでした。遠くに富士山が見えます。富士山…。僕は立ち止ってふと思い出しました。
同居の祖母が、唐突に昔を語り始めた、ある夜の話です。「…20歳の頃、箱根旅行に行ったの。会社関係の、男女8人で」初めて聞く話でした。「先輩が皆を連れてってくれて。世の中が平和になって、それから」
60年以上前、大変な時代が終わった後のこと。悲しみの中にも、新時代への希望と、少しの開放感があった。思い切って皆で箱根に旅に出た。登山道、大涌谷、初めて間近で見る富士山。見えないねえ、言った矢先に目の前にそびえ立っていて、度肝を抜かれたあの時。洋風の旅館では初体験の洋式トイレに「どうしよう」、仲間と『使い方』を議論して大笑いしたとか。
当時は移動手段が少なく、景勝地を歩いて巡ると、宿への帰路はへとへとでした。そんな祖母たちを尻目に、アメリカの若者がジープに乗って通り過ぎていく。彼らもまた、観光を楽しんだ帰りでした。歩き遅れた祖母はひらめきました。道へ出てジープに手を挙げ…「えっ、ヒッチハイク?」話を聞いていて僕は声をあげました。
「英語は分からないけれど乗せてもらったの。もう一人の友達と。紳士だったわ」宿へ歩く旅の仲間を『お疲れさまっ』と追い越して、無事に宿まで送ってもらったそうな…。「本当の話?それで…その旅行で、おじいちゃんと出会ったの?」僕が笑って尋ねると、「違うわよ。お休み」祖母は寝てしまいました。
今、夕陽は沈み、富士山は影になりました。新春を迎えて凛々しさを増した『不二の山』は、二つとない青春たちと一緒に、遠くで小さく手を振るようです。
☆山口高弘 1981年市原生まれ。小学校4年秋から1年半、毎週、千葉日報紙上で父の随筆イラストを担当し、本紙では97年3月からイラストを掲載、06年から本連載を開始。「今年も、心に優しいイラストと、鮮度のある文章をお届けしていきます。よろしくお願いいたします」