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はるのそら
- 2016/3/25
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文と絵 山口高弘
十数年前の二月末、大学の入口近くの掲示板で自分の受験番号を見つけた僕は、小さくガッツポーズをしました。第一志望の大学に合格していたのです。まわりに人はまばらでした。親に報告の電話を入れてぎこちなく感謝を告げ、ひとつ息を吐いて空を見上げました。「終わった…。」その時の空はとても澄んでいて、向こう側に温かみのある青でした。陽の光が優しく街を照らしていて、何にでもなれそうな気がしました。今までの自分が終わってすっかり新しい自分が始まる、大きな幕開けの空。おおげさに、そう感じました。
何かが終わったとき、または始まったとき、空を見上げるのはどうしてだろう。ただの空間だから、気持ちを放つのにちょうど良いのかもしれない。少し歳をくった今となっては、すっかり疲れてしまった夜に、空を見上げることが多くなりました。「今日も一日、たいした事ができなかったな」と後悔しながら。あの十代の終わりの春先に感じた『何でもできそうな予感』は、三十代の平日の夜にはぼんやりと霞んでいます。夜空に星がまばらに見え、ため息は白くなって雲のように流れていきました。大人になると良い事も悪い事も過去から地続きだから、自分自身が『すっかり新しくなる』なんて滅多にない。だから少しのあいだ空を見上げて、心が晴れるのを待つのです。
ふと気づくと飼い犬が横に来ていて、「何やってんだ?」と僕の方をきょとんと見ていました。雨が降り始めた訳でもないのに、人間はヘンだな、という顔です。「たしかにヘンだよね」犬の頭を撫でながら、彼の眠たげな眼差しを見ているうちに、何に悩んでいたのか僕も忘れてしまいました。「今日は、もう寝ようか」
夜の庭に一瞬、花の匂いがした気がしました。
☆山口高弘 1981年市原生まれ。
小学4年秋1年半、毎週、千葉日報紙上で父の随筆イラストを担当し、本紙では97年3月イラストを連載。