ついに国特別史跡指定

加曽利貝塚は考古学の宝の山

 今年10月、千葉市若葉区にある日本最大級の加曽利貝塚が国特別史跡に指定された。国指定史跡のうち歴史上、学術上の価値が高く特に重要なものが国特別史跡。加曽利貝塚博物館主査、山下亮介さんは「史跡の国宝版です。特別史跡62カ所のうち、縄文時代は三内丸山遺跡(青森県)、大湯環状列石遺跡(秋田県)、尖刈石石器時代遺跡(長野県)に次ぐ4カ所目、貝塚では初めてです」とその希少な価値を強調し喜ぶ。
 面積は約15万㎡。自然豊かな都市公園や史跡として親しまれる園内には博物館、貝層断面観覧施設、竪穴式住居跡群観覧施設、復原集落などが点在する。周囲を歩道が囲む、直径140mの環状なのが北貝塚。遊歩道のように置かれた大谷石が位置を示す、長直径190mの馬蹄形なのが南貝塚。年代の異なる二つの貝塚が8の字型にあり、どちらも素人目にはわずかな土の隆起のように見えるが、貴重な史料の宝庫である。
 縄文時代が始まったのは約1万6千5百年前。「縄文時代は約1万年続き、ほとんど争いのない平和な時代でした」。加曽利貝塚は約5千年前の縄文中期から後期にかけて北貝塚、南貝塚と2千年間も縄文人が住んでいた。「今から1千年前は平安時代。その長さを想像してみてください」
 貝塚は貝殻のカルシウムでアルカリ性になり、多くの有機質遺物は分解されずに残る。人骨、土器、石器、貝製品や牙や骨のアクセサリー、住居跡も発見されており、「単なるゴミ捨て場ではなかったのです」。当時の暮らしや自然環境までわかるそうだ。まだ全体の7%しか発掘されていないにも関わらず、人骨の発見は約230体。「足の下にはまだ人骨があります。推測ですが、命の再生を願って埋葬したのでしょう」と山下さん。人骨は年齢、腰痛や骨折歴などわかっているが、最近はDNAや炭素・窒素の同位体比の分析により、家族単位や食生活の傾向がわかるので、これからの研究でさまざまなことが解明される可能性がある。今後、発掘調査は毎年行われる予定。調査中は柵外から見学できる。
 縄文人の主食はドングリなどの木の実。貝類は直径1.5センチほどのイボキサゴを中心に、ハマグリ、アサリなど、動物はイノシシ、シカのほかタヌキ、カモ、キジなども食べた。ただ、イヌは、骨がバラバラに見つかる他の生物と異なり、全身がそのまま出土する例があり、意図的に埋葬されたとわかる。ちなみに同館のマスコットキャラクター『かそりーぬ』はイヌである。
 加曽利貝塚は明治20年には知られており、大正時代には出土した土器が加曽利E式、加曽利B式などと命名されている。以来、時代を見極める基準土器になっており、学問的にも重要なのは明らか。E、Bなどの英字は発見された地点名だそうだ。
 また、この貝塚は市民が立ち上がって残した文化財保存の象徴でもある。高度成長期前に宅地造成で消滅の危機に陥った同地を、考古学者武田宗久氏を中心に『加曽利貝塚を守る会』が1万人を超える署名を集め、保存することが決まった。その流れから現在も協力団体『加曽利貝塚友の会』、『加曽利貝塚土器づくりの会』、『加曽利貝塚ガイドの会』が活動する。
 取材日に訪れていたのは地質調査を行う大学の研究者グループや加曽利町団地自治会の30人ほど。自治会の70代の女性は「九州の小学校で加曽利貝塚について習いました。知人に自慢したい」、60代の女性は「解説を参考に孫に説明したい」とボランティアガイドの話に熱心に耳を傾けていた。『加曽利貝塚ガイドの会』の岩瀬博さんと小林恵子さんは「誰も見たことのない世界だから、好きなように想像しながら勉強できます」と楽しそうに話す。
 千葉県では、まるごと加曽利貝塚イヤー『加曽利貝塚ミニ展示』を来年9月まで県立美術館、県立房総のむら、多古町コミュニティプラザ、一宮町中央公民館、芝山古墳・はにわ博物館ほかで開く。県立中央博物館は12月と6月にミニ展示、トピックス展『かそりーぬと見る加曽利貝塚』1月13日(土)~2月12日(月)・(祝)を開催する。

問合せ 加曽利貝塚博物館
TEL 043・231・0129
入館無料 開館時間9時から17時(入館16時半まで)休館日月曜、国民の祝日の翌日(土日の場合開館)、年末年始 休館日も園内散策可

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