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歴史ある本納城址と蓮福寺を整備 初日の出が地域をつなぐ
- 2017/10/20
- 外房版, シティライフ掲載記事
山寺を守る会
地元住民が本城山と呼ぶ、茂原市の本納城址は、毎年200人近くが初日の出を拝む。市の景観資源に選定された同地と麓にある蓮福寺の環境整備をするのは、茂原市本納第6区自治会の会員を中心とした『山寺を守る会』の30代から80代までの40人ほど。桜の花見の季節前、紫陽花の終わる7月、夏草の茂る9月、新年を迎える前の12月に集まり、草刈りや境内の整備をする。
取材日、猛暑のなか草刈り機や鎌を手に駐車場に集まったのは13人。軽トラックに作業道具を預け、参道から本堂脇の墓地と削り壁脇の道を徒歩で登る。山頂は寺の入口から約550メートル。軽トラックは墓地まで入れるが、そこからは城郭を形作る袋狭間と呼ばれる細い堀底道なので各々道具を持って登らなくてはならない。標高は66メートル。本納城址と刻まれた石碑のある見晴らしの良い城跡に出ると、メンバーたちは早速腰のあたりまで伸びた草を刈り始めた。
眼下の集落の先に見える九十九里浜を指し、「初日の出が見えた時は嬉しいよ。今年はよく見えたな」と汗を拭きながら話すのは会長比企治さん(59)。地区の野球チームの仲間が中心に4、5人で集まって初日の出を見るうちに本城山を守る会ができた。寄付を募って甘酒を出したり、記念のタオルを作ったり。しだいに賛同者が増え、活動が広がり、現在の会の名前になってから24年経つ。
元会長横山嘉則さん(74)は「日の出を見るために始まった会。使命感と言うより楽しみだな。みんなが集まるのはいいこと。桜の季節もきれい」と作業の合間に語る。元日はまだ暗いうちからライトを設置し、準備をする。集まった人たちとともに新しい年の健康や幸福を願い初日の出を拝んだあとは万歳三唱をし、住職の講話を聴くのが恒例だ。
「NHKテレビで放映されたこともある」と初日の出の美しさを誇らしげに語るメンバーたち。それぞれにとって一年のはじまりに欠かせない行事となっている。地元出身で一度市外に出て20代後半で戻ってきたという34歳の男性は「気持ちが落ち着きます。家族でご来光を拝んだあと、親戚にあいさつ回りに行きます」と話す。
メンバーは地元出身者のほか3分の1ぐらいは市外からやってきた住民。会社の移転に伴って茂原市に引っ越してきた54歳の男性は「はじめは人と人のつながりが濃い土地だなと良い意味で驚きました。でも、できないときにはフォローしてくれるので無理をせずに溶け込めました。奉仕活動、花見、夜警、祭りにと、みんな当たり前のように地元に尽くしているのは素晴らしいです。行事を通じて仲間ができて飲み会やゴルフにも行くようになりました」とボランティアという言葉では言い尽くせない地域の結びつきを楽しむ。「自然も豊かで子どもたちにとってはふるさとです」と勤め先が東京に移ったあとも住み続けている。
蓮福寺住職川崎英宗さんは同会に対し「みなさんに整備していただいて大変ありがたい。地元の人たちが本城山に親しんでくれて嬉しいです」と感謝する。案内板によると、本納城址は室町時代後期、享禄2年(1529年)に構築されたと伝えられる、地の利を生かした要害堅固な山城だった。削り壁と呼ばれる切り立った崖、抜け穴、袋狭間、のろし台など中世の遺構を今に残している。蓮福寺は土気城主酒井氏に滅ぼされた城主や城兵の菩提を弔うために建立されたらしい。
本納地区は江戸時代の儒学者、荻生徂徠が14歳から13年間過ごした地。高齢の男性たちは「伝承話がたくさんありますよ」と地域の歴史についても詳しい。県指定史跡荻生徂徠の勉学の地や龍教寺には荻生徂徠の母親の墓があり、寺社も多い。毎年7月の第1土曜日には本納駅近くの八坂神社で、10月には橘樹神社で祭りがある。橘樹神社には海に身を投じて日本武尊の難を救った弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)祀られているそうだ。メンバーはこうした祭りを執り行う祭事連にも所属し、つながる。
本納で生まれ、18歳から祭事連に入ったという比企さんの「みんなが山に登ってくれれば嬉しい。ただそれだけ。これからも同じように活動していきます」という言葉に何の気負いもなく本城山を守ってきた住民たちの心が伝わってくる。